さて、ここ5日続けてきました『IFS』ホームページ、プルシェンコ選手ロングインタビューの感想文も、今夜が最後になります。いままで書いたブログのリンクを貼っておきますね。
元記事: http://www.ifsmagazine.com/forum/index.php?s=0411973ab32456e9ec2c5a5fe781d329&showtopic=436
第1夜:プルシェンコの珊瑚礁(http://ameblo.jp/haibaran/entry-10038472868.html
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第2夜:プルシェンコの気になるライバル(http://ameblo.jp/haibaran/entry-10038574883.html
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第3夜:プルシェンコの黄金のお茶(http://ameblo.jp/haibaran/entry-10038693141.html
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第4夜:プルシェンコのソルトレイク(http://ameblo.jp/haibaran/entry-10038803822.html
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それではいままでどおり、機械翻訳をもとに灰原が日本語にまず内容を書き取って、それに対してあとで感想をちょろちょろっと書くってことで。本文にGO!
IFS:正直におこたえください。トリノオリンピックが迫ったとき、あなたは、オリンピックで戴冠する場面を想像しましたか?
プルシェンコ選手:いいえ。むしろ、ソルトレイクオリンピック直前にはそうしたことを考えていましたね。
練習中にも、ぼくは表彰台のてっぺんのことばかり考えていました。前にもおんなじ状態になったことがあって、それは1998年のミネアポリスワールドのときです。ぼくの初めての世界戦でした。
そのころ、練習では、ぼくはいつも2回のクワドを成功させていました。たった15歳でね!
SP終わって、ぼくは2番めでした。トッド・エルドリッジとアレクセイ・ヤグディンと同じ場に立って、クリーンな演技ができたんです。
ぼくは思いました「やった!」
ぼくは1番になれる……そうぼくは思いました。ホテルに帰って、眠るために横になっても、勝てるかもしれないと考えが、頭から離れませんでした。
それは大きな間違いでした。ぼくは学んだんです。こういうことは繰り返しちゃいけないんだって。
五輪のためにトリノに来たとき、ぼくは、そこに帰ってきたような気持ちになりました。
ぼくはすでに、氷のことも、アリーナのことも知っていました。
ウォーミングアップをどこですべきか、ロッカールームがどこか、ぼくはちゃんと知ってたんです。これって重要なんですよ。
そして、ぼくは心に思いました。「綺麗なスケートをしよう。集中して、クリーンな演技を」。SPで、ぼくは思ったとおりの演技ができました。
FSについては、プレッシャーから放たれて演技するために、芸術的な振り付けをあえてしないで、技術的な要素に集中して演技をしようと、コーチのアレクセイ・ミーシンと話し合っていました。
ぼくはそのとおりに演技しました。
優勝したとき、ぼくは言いました。「それこのとおり」。カメラに、そして観衆に、ぼくは言いました。「それこのとおり」。
IFS:優勝した夜、ついにもたらされた栄光の重みを、あなたは感じましたか?
プルシェンコ選手:ぼくはフラフラしました。ずっと長い間これが欲しかったので。
ぼくは自分に問い続けました。「つぎはどうしよう?」
IFS:なぜ競技に復帰したのですか?
プルシェンコ選手:それは、ぼくがまだ24歳だからです。ぼくはまだスケートをすることができます。
お金のためかって?
お金はね、紙切れですよ。
お金のためだけに働くと、気持ちがどこかにいってしまいます。
ぼくはスポーツマンです。そしてアーティストです。ダンサーでもあり、母国と自分のためにフィギュアスケートでなにかをしたいのです。
IFS:あなたの息子さん、イゴール君は、この6月で1歳になりましたね。彼はどう過ごしているんですか?
プルシェンコ選手:イゴールはいい子にしてますよ。
とても大きくなって、ツアーを終えたあと、ぼくは息子とたくさんいっしょに過ごしています。いつも元気一杯で、もう歩いてるんですよ。
ブロンドで、目は青くて、ぼくにも、母親にも、よく似ています。
ぼくの仕事のために、ぼくは息子との時間を多く取れませんでした。そして、あなたもご存知のとおり、ぼくはいま、妻とうまくいっていません。
IFS:離婚は成立したのでしょうか。
プルシェンコ選手:いま、話し合いの最中です。数ヶ月のうちには、成立すると思います。
IFS:結婚するときにはあなたは、自分は間違っているのかもしれない、と思ったりしましたか? それとも、幸せ一杯だったでしょうか。
プルシェンコ選手:ぼくはずっと、仕事のことばかり考えてきました。
子どもが産まれるとわかったとき、ぼくは覚悟を決めなきゃいけないと思いました。命をさずかるというのは、生易しいことではないから。
たしかにぼくはまだ若かったけど、若すぎたとは思いません。ぼくは家族を持ち、父親になりたかった。彼女もぼくを愛してくれましたが、いろいろ難しいことが起きたんです。
ぼくはいま、自叙伝に着手しています。いつか、本の中で、なにが起きたのか詳しくお話できるでしょう。
IFS:私のカンでは、あなたにはいまガールフレンドがいるようなんですが?
プルシェンコ選手:ガールフレンドなんかいませんよ。
……まあ、ある意味ではいますね。ぼくを応援してくれる方、みなさんがぼくにとってはガールフレンドですから。ぼくにはいつだってガールフレンドがいるってことですよ!
IFS:トトミニアナ&マリニン組とあなたのツアー出演を巡って、ここ数ヶ月、契約問題が紛糾しましたね。訴訟になるのでしょうか。
プルシェンコ選手:彼らの持つ問題は、小さくありません。
たいがいイベント製作者は、フィギュアスケート界の人間ではありません。勝手な理屈で、契約を破ることは、社会的に許されないのです。
彼らは、ぼくのアイスショーツアーと、COI、イリヤ・アベルブフのツアー「アイス・シンフォニー」と契約しました。彼らのために、アベルブフはすでに高額の出演料を支払っていますが、すべてのツアーには、彼らは出演できません。
ぼくは彼らが大きなミスを犯したと思っています。彼らが将来的にもスケーターとして働いていきたいならば、この問題は解決されなければならないでしょう。
IFS:新採点法についてお聞きします。以前の6.0方式と現在のシステム、どちらがお好きでしょうか。
プルシェンコ選手:両方とも好きですよ。ただ、エレメンツごとにべつべつに得点をつけるいまのシステムを、観客はあんまり理解してないんじゃないかと思います。
もっと簡単な、等級わけで採点するとかできれば、6.0方式並みに単純に、観客にも理解ができるんじゃないでしょうか。
IFS:あなたのパフォーマンスを、ひとつだけ永遠に残すことができるとしたら、あなたはなにを選びますか?
プルシェンコ選手:ぼくの演技を、ひとつのプログラムによって覚えていてもらうのだとしたら……トリノオリンピックのSPで滑った「トスカ」を選びます。
ここまでー!!!!
はー長かった。これにて、プルシェンコ選手インタビュー本文は、おしまいです。さいごということで、ちょっと駆け足になってまして、一部大意と言うか、よくわかんなくて飛ばしている箇所もあるんで、よろしければ原文をご覧いただけますとうれしいです。
今回書き出した部分で、もっとも灰原が興味深いと思ったのは、トリノ五輪にあたっての、ミーシンコーチとプルシェンコ選手の戦略についてでした。SPは芸術性にあふれたトスカ、超難度プログラムで観客を魅せて、FSではスポーティなプログラムで勝ちに行ったと。スケートは芸術かスポーツかという問題はよく語られますが、この場合はスポーツとして勝ちに行ったわけですね。新採点法だったからこその戦略だったようにも思います。
意外だったのは、表彰台を意識すると固くなってしまうというところ。よく、ものの本では、イメージトレーニングとして表彰台に立ったところを想像しなさいとか書いてあるんですが……プルシェンコ選手は、あんまりそういうことを考えないほうが、力を発揮できるタイプだったのでしょうかね。
ただ、プルシェンコ選手の意見と灰原は違うところがあって、新採点法について。難しすぎて観客は理解できないんじゃないかというけれど、6.0法のほうがよっぽど難しいですよ~。そもそも採点基準が観客に明らかにされないんだもん。
たしかに、見た目の数字は新採点法のほうが複雑ですけれど、簡単さ、わかりやすさの点では新採点のほうが勝る、というのは灰原は思うところです。もしトリノが、6.0方式だったら、FSで芸術性放棄というバクチは打てなかったでしょうね。
プライベートなところまで、鋭く突っ込むインタビュアーに対して、一生懸命答えてくれたプルシェンコ選手。とても興味深いインタビューだったと思います。
また、競技再開したあとで、ここまでがっつりしたのでなくてもいいけど、プルシェンコ選手のインタビューが読めると、うれしいです。
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