最近コーヒーの味が分からなくなってしまったので、無農薬の緑茶に代えた。

無農薬のお茶は直近のスーパーには売っていない。私はここで買っている。

茶・いりこ(仕入販売) - 菌ちゃんふぁーむ (ocnk.net)

100g540gだから、コーヒー並みの値段だけれど、一度に15gも使わないから、コーヒーより安い。

紛争地に多いコーヒー農園の労働者は、農園主に奴隷のように使われているかもしれない。安心して寝て食べられれば天国だろう、という事だ。コーヒーを買うという事はフェアトレードでなければ、奴隷から搾取する農園主の立ち位置と同じ側に立つことだろう。それはできないことだ。見ない振りして立つこともできるが、知ったら立てない。

私たちは幸いにも、日本に生まれ、それ程の苦労をするわけでもなく、まあ相対的には暢気に暮らしている。紛争地はともかく、外国の普通の生活であっても、日本の治安の良さや国民の質の高さは、他国の及ぶところではないと左右に関係なく言っている。日本に住む外国人も、日本に住むと気持ちは日本人になった感じがするという人もいる。内実は知り様もないけれど…。日本人に生まれるのではなく、日本人になるという事かもしれない。確かに日本で生まれて日本語を当たり前のように話す外国籍の子供は日本人より日本人だからね。

スーパーのウズラの卵を孵卵器で孵すことができるというテレビを見た。

そういえば、55年ほど前、母親がウズラの卵がきれいに並んだ凹凸のある専用の紙のケース(10個×10個)を傾け、ウズラの卵を茹でて3個ずつ串に刺して、お店で売っていたなあ。いくらだったかなあ?15円かなあ。串はどうしていたのだろう。

豊橋はウズラの卵の産地で、どこからか仕入れてはやっていた。

それから、鉈で竹を割って肥後守で竹串を作り、関東煮(始めは15円。その後1970年代は値上げラッシュだった)もやっていた。昔は何でも有りでした。

 

今思うとその頃の両親が一番幸せでした。

中1の頃から母親の入院が増え、中3の時は、高校生の姉が卒業式に来てくれた。

校舎の3階から、母親たちに交じってセーラ服の姉が見えた時、隣りの友達が「あれ、高校生がいる。変なの!」と言った。「あれは僕の姉だよ」と言うが同時に涙があふれてきたのを友達が見て、「ごめん。ごめん」謝ってくれた。卒業式の日の思い出は他には何もない。

 

高3の春は、両親共に入院していて、家業の駄菓子屋の仕入れを電車に乗って、豊橋の水上ビルのなじみの菓子卸問屋に買いに行ったことがある。小学生の頃から父親について行ったことが度々あったのだ。その時は思いの他かさばり、帰りは大きな段ボールを抱えて帰るつもりでいたら、おじさんがトラックに乗せて家まで送ってくれた。忙しかったにちがいないが、見るに見かねたのだろう。迷惑をかけたなあ。

 

谷山浩子の

すずかけ通り三丁目 (youtube.com)

という歌の中に、

♪思い出は眠っている 心の奥に~

という節がある。

 

以前にも書いたと思うが、書き出すと記さずにはいられない何かがあるのでまた書いてしまった。