生前、母のデイサービスをお願いしていた時、施設の方に「医療関係の方ですか?」と聞かれたことがある。
担当者のその方に伝えたのは、次のようなこと。
「今日は、お腹がゆるいのでポットに入れた紅茶を飲ませてください。りんごの果汁が少し混ぜてあります」
「利尿剤を服用するとしょっちゅう喉が乾きます。心臓に水が溜まってしまうので、摂りすぎないように気をつけてください。ただ、お茶の時間など皆さんが一斉にお茶を楽しむ時間なのに、母だけ飲めないとうことはないようにしてください。施設が嫌いになってしまうといけないので。水分調節は必要ですが、それ以上に大事なことは、本人にデイサービスを楽しく快適だと感じてもらうことなので」
うなずきながら説明を聞いてくださった後、「もしかして医療の仕事をされていますか?」と。
「いいえ、なぜですか?」
「とても詳しく、的確なので、ご専門の方かと」
当時、母のことを、自分ごととして受け止めれば、ほんとにいくらでも伝えたいことが出てきてしまって、ついつい詳しく説明もした。対面でも、連絡帳などでも。
いい加減な説明をしたらわかりにくくて迷惑をかけるだけでなく、結果、母に返ってくるわけで、自然とこまやかにもなる。
命に関わることだってあるのだから当然だ。
一番身近なのは、自分。一番、知っているのも自分。責任がある。
この「当事者思考」というのは、プライベートだけでなく、仕事でも大切だ。
いろんな情報を見て、「へえ、こんなことがあるんだ」と感じるのは簡単。
でも表面的にしか捉えていなければ、所詮は他人ごと。
大切な家族や大切なクライアントが対峙していることを、どこまで自分ごととして考えるか。
それができれば、一歩進むことができる。
情報の表面だけを見るのではなく、影響するその先を見る。
「こんなことがあれば、どんな人達が、どんな影響を受けるんだろう」と、その「情報の先にいる人」に思いをはせる。
「自分ならどうだろう」と自分の身に引き寄せて考えてみよう。
それが、発想に必要な「当事者思考」を持つことにつながるのだから。