25年... | Lapis Momの E hau‘oli mau ‘oe!

Lapis Momの E hau‘oli mau ‘oe!

毎日の楽しいこと、育児、趣味、、色々と書いていきたいと思います。

よろしくお願いします。

1995年1月17日 5時47分

毎年その当時を思い出します。
私は大阪で1人暮らしの学生。
いつもなら友達の誰かが泊まりに来るのに
この日は1人。
突然下から突き上げるような衝撃に
飛び起きると、ベッド隣の備え付けの
クローゼットが倒れそうになってて
必死で訳も分からず支えていました。
その間、非常階段から住人が降りてく音。
怖くて逃げる事が出来ず泣いてた...

揺れが止まっても、古いマンションは
ギシギシ?ミシミシ何とも言えない音が
していて崩れるんじゃないかと思いました。

窓から下をみると壁のタイルが剥がれ
落ちてて、住人達が話し込んでました。

明るくなってテレビを付けたら
高速道路が横倒しの光景。。
そんなにすごい地震だったんだって
実感しました。

母からの電話。同じ大阪に出てきた
友人と安否確認。。
その後は電話が繋がらなくなりました。
公衆電話は繋がるというので、毎日一時間
くらい並んで母に様子を報告していました。
良かったのかどうか分からないけど、
とっても治安が悪い所に住んでたので、、
発砲事件とか度々。。笑

公衆電話だけは数十メートル間隔で
設置されてたのよ。。
それでも数日は行列。

尼崎に住んでた友人宅は家の中の物が
天と地がひっくり返ったようになったと
話してました。

初めて大きな災害を目の当たりにして
避難所生活の方が不自由な生活を余儀なく
されてると思うと数ヶ月は無事で
過ごしてる事に罪悪感を感じながら
心のどこかが暗い感じ。。
なんとも言えない感じの記憶が残ってます。

当たり前に今を過ごせてる事はとても
感謝をしなくちゃいけないなぁって
思います。

いつ災害に直面するか分からないし
子供達とそんな時はどうするか話も
しなくちゃと。。

都内に私も旦那も勤めてるので、
また都内を襲う大きな地震が来たら
帰れないのは確実。。

災害に備えて改めて確認が必要な
我が家です。