飛鳥遺跡を巡る旅(5) | たびぶくろツアー☆

たびぶくろツアー☆

とあるオッサンの手慰み

 

 

 2022年

 

   8月20日

 

奈良

 

 

 

 マラ石を堪能した後は

このすぐ近くに鎮座する

石舞台へとやって来ました。

 

 

 

 

 

 ネットには入場料300円と書かれてますが

吾輩は400円徴収されたような気がします…

気のせいですかね?

 

 

 石舞台は、子供の頃

親戚に譲って貰った古い百科事典で

目にして以来、いつかは実際に見てみたい

と思っていた遺跡です。

ようやく念願が叶いました。

 

 よくもまあ、こんな巨大な石で

このような石室を作りましたね。

 便利な道具や重機の無い時代に…

 

 

 

 

 

 

 石の隙間から下にいる人を撮るのが

映えるようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、いったい誰の墓だったのでしょうか…

一説には、蘇我馬子だと言われてますが

発見時にはすでに盗掘に遭っていたらしく

貴重な物はすでに無くなっていたそうですよ。

どろぼうめ…

 

 

 

 

 

 

 石舞台を一周して

次の遺跡へ向かいましょう。

 

 ひたすら下り坂を下って行きます。

自動で下りて行きます。

「ひゃっはーっ!」

気分は「YOUはSHOCK!」です。

吾輩の鼓動早くなる。

吾輩の自転車を邪魔する奴は

指先ひとつでダウンさせます。

そんな気分です。

ちょう気持ちいい。

 

 

 

 田んぼの間を通りながら

軽トラがやっと通れそうな農道を

下って行くと、次の遺跡

亀石に到着しました。

 

 

 亀石も子供の頃から

見てみたかった遺跡のひとつです。

 

 

 

 

ほんと亀そっくりです。

見ようによったらカエルにも見えますね。

 

 

 

 

 

 子供の頃、百科事典で見たときは

自然石かと思ってましたけど

加工した跡がちゃんとあります。

足まで付いてますよ。

 

 

 

 

 こちらは左足の部分。

わかりづらいですが

縦に線が三本ちゃんと彫ってあります。

 

 

 

 

 

 後もちゃんと甲羅が彫ってあります。

紛れもなく亀ですな。

 

 

 

 

 

 

 

 説明書きにはこうあります。

いつ何の目的で作られたのか明らかでないが、

川原寺の四至(所領の四方の境界)を

示す標石ではないかという説がある。

 

 

 伝説

昔、大和が湖であったころ、湖の対岸の当麻と

ここ川原の間に喧嘩が起こった。

長い喧嘩の末、湖を当麻にとられてしまった。

湖に住んでいたたくさんの亀は死んでしまった。

何年か後に亀を哀れに思った村人達は

亀の形を石に刻んで供養したそうである。

 今、亀は南西を向いているが、

もし西を向き当麻をにらみつけたとき

大和盆地は泥沼になるという。

 

 

 怖いですな。

 

 伝説は怖いけど 

愛嬌のある遺跡です。

亀さん西を向いちゃダメですよ。

MEはSHOCKになります。