全てを失ってから本当の人生が始まる。
実は、私たちは一度自分の持っているもの全て失わないと、自分が本当に大切にしたいと思うことに気づけないのかもしれません。
誰にでも挫折や大きな失敗の経験があると思います。挫折や大きな失敗はこれまで積み重ねてきたものが壊れて0になります。自分の積み重ねてきたことや自分の持っているものが0になれば、絶望して落ち込んでしまうのは当然のことです。
しかし、0になるのは悪いことではないのです。0になるからこそ得られるものがあるのです。0というのは無です。そこには何もない。何もないからこそ、そこに入ってくるものがある、そこから生まれるものがあるのです。
人間は全てを失った時に、今までの人生を振り返り、自身のあり方を反省し、自分の気持ちに正直に生きてきたかを問うのです。そしてこれから何を大切にして生きていきたいかを考え始めるのです。つまりは、その人にしかできない、その人だけの人生がそこから始まるのです。
私は昔、自分で自分を縛り、苦しめる生き方をしていました。どんな生き方かというと、「~しなければいけない」や「~すべき」などの言葉を使って、自分を常に律する生き方です。
「自分はこうあるべき」という理想に向かって、狂信的なまでに自分を追い込んでいたのです。自分の内からでる「~したい」「~したくない」「好き、嫌い」という自然の感情を無視して、自分に無理を強いて痛めつけました。
その姿勢で何か結果を残せたのならまだいいのですが、私の場合はただ無理をして心と身体を壊し、仕事もプライベートの目標も叶えることができず、たくさんの恥をかき、全力で頑張ってきたものが全て失くなってしまいました。残ったのは、鬱状態と希死念慮を抱える何もない私でした。
そこから立ち直るのは大変でしたが、やはり一度全てを失ったことによって、得たものがあったのです。自分の生き方を振り返ることで、何が自分を苦しめていたのかがわかり、前よりも随分と生きやすくなりました。
全てに絶望して、幸せになることをあきらめたので、前の自分よりも何かに挑戦することが容易になりました。何も失うものがないからです。自分を過度に律することがなくなったので、自己否定をすることが少なくなりました。
他にもたくさん得たものがありますが、なによりも挫折から立ち直った経験から、何が起きても大丈夫、生きていけるという生きていく上での安心感を体感として持てるようになったのです。これは、自分にとって大きな成長だったのです。
今、何かを持っていることを誇っている人は危ない生き方だと思います。それはいずれなくなるからです。逆に今、何も持っていない人は幸いです。人間は0からしか何かを生み出すことができないからです。
何かを持っていることが安心だというのは嘘なのです。お金、権威、権力に固執する人は新しい生き方をはじめることができません。それを手放すのが怖いからです。そうしたものに固執しない人は、新しい生き方、新しいものを生み出すことができます。
世間では人から見てわかりやすいものを持っていることが、価値のあることともてはやされますが、世間の価値観というのは実は嘘がほとんどで、私たちを狭い檻に閉じ込めるものなのです。
世間の価値観の逆の道を行く方が、人は幸福になれるのです。世間では、全てを失った人は敗残者扱いをされますが、それは逆で、そうした人ほどこれからの時代はチャンスがあるのです。
権威や権力、お金による支配が成り立たない時代になりつつあり、そうしたものが本当の幸せではないと多くの人が気づいていく時代だからです。そして、人は誰もが自由であり、自分なりの表現をしていくことが本当の喜びであると理解するようになるからです。
全ては0からはじまります。0であるところにエネルギーは入るのです。何もないということは怖くないのです。そこから生まれるものがあるからです。そこに新しい知恵が入ってくるからです。0から全てが生まれることを理解するのは、死ぬことを受け入れるということです。
私たちは何もないところから、つまり0からこの世にやってきます。
何もない無こそが全てを生み出す有であると知った時、私たちは死ぬことを当然の帰結として受け入れ、死というのは、自分が元いた場所に戻るだけのことだと気づくのです。そして、限りあるこの命を全うしようとするのではないかと思っています。よくわからない話だったと思いますが、ここまでお読みいただきありがとうございました。