昨年の話になってしまい、大変恐縮ですが、自分なりの気づきがありましたので、ここでシェアさせてください。
昨年の12月22日に、東京で開催されたとあるクリスマスディナーの集いに参加しました。120名ほどの参加者がいて、卓上ディナーをいただきながら、プロの歌手の歌声を楽しむ、そのような集まりでした。
催しも終わりに差し掛かる頃に、抽選でクリスマスプレゼントが当たる企画がありました。15名の方が抽選にあたり、プレゼントを受け取って、一人ずつステージの上で来年の抱負を一言話すという流れでした。
主催者の方が司会進行をしていたのですが、ホテルのホールの貸切時間夜9時に催しが終わるかどうか、焦っていたのが遠目から見てよくわかりました。
そんな中、抽選に当たった一人ひとりが来年の抱負を一言話していく中で、60代の男性がプレゼントを受け取りにステージに上がりました。来年の抱負を一言話せばいいものの、突然歌を歌うと言い出したのです。
来年が皆様にとって良い年になるようにみたいなことを言っていたのですが、誰も歌うことを求めていないのです。プロの歌手が来るような場ですので、その男性の歌を誰も聞きたいわけではないのです。
そして、パーティー終了の時間が迫っていて、主催者がしきりに一言でお願いしますと言っているにも関わらず、突然、歌いますとその男性は言い出したのです。
私は、その時、それはこの場において適切な態度ではないと思ったのです。少し嫌な気持ちを感じたのです。
後でその出来事を振り返ってみて、何に嫌な気持ちを感じたのかを考えてみました。クリスマスディナーという、その場に集まった人々が楽しむ場の空気や調和が、その男性の自己顕示欲を満たしたいだけの行為によって、壊されたことに私は嫌な気持ちを感じたのだと思うのです。
みんなが楽しむ場で必要なのは、お互いに調和や平和、尊重を求める気持ちや意識です。その場にいる全員が心地よく過ごせるようにお互いを大切にする思いが大切なのです。
そうした意識を持った人々が集まる場所は、自ずと心地よいものになります。調和や平和を求める気持ち、それは美しいものを見つめようする意識です。人間は、美しいものに心地よさを感じるのです。人の心を惹く芸術品や音楽には調和があるはずです。だから人はそれらを美しいと感じるのだと思います。
ステージ上で誰にも求められていないのに、勝手に歌い出した男性には、美しいものを見つめようとする意識がなかったと思うのです。みんなが楽しくその時間を過ごせるように、パーティーを運営してくださっている方々に迷惑がかからないようにという、場の調和を大切にする気持ちがその男性には足りないと私は思ったのです。
その場を盛り上げたいという真心からの行為だったら良かったのかもしれませんが、そうは見えなかったのです。その男性とお話しさせてもらう機会がありましたが、どうも自分は知識がある、人よりも物事を知っているという態度があからさまに出ている方でした。
誰にも求められていないのに、誰も知らないイタリア語の歌を歌い、どうだ俺はすごいだろというような態度をとっていたのですが、みんな冷めた目でその男性を見ていたのです。
人間関係というのは、「あなたとわたし」というお互いを尊重する意識があってこそ、その関係が喜び多きものになるのだと思います。「あなたとわたし」という関係の中で調和を大切にしようとする気持ちが必要なのです。
私が場の空気を敏感に気にしてしまう人間であるために、パーティーの主催者が何を考えているのか気になり、その焦りを過度に感じ取ってしまうというのもあるのかもしれません。しかし、その男性の行為を見て、これではいけないと思ったのです。自分が60代になった時に、同じ振る舞いをしてはいけないと感じたのです。
美しいものを感じ取り、見つめようとし、自らも美しいものを自分なりの表現方法でつくろうとする意識があれば、豊かな人生を送ることができると思うのです。自然と喜びが多い人生になるはずです。
天秤の秤が同じ重さでバランスよくつりあうように、人とのコミュニケーションで調和を心がける、場の調和を意識して振る舞ってみる、そうした意識を持つことも、自分自身が幸せに生きていくために必要なのではないかと思っています。ここまでお読みいただきありがとうございました。