銭形平次捕物控「平次屠蘇機嫌」 、
手が混んでいるじゃないか」
平次は店から持ってきた浅黄の手拭を
平次は店から持ってきた浅黄の手拭を
畳の上に広げました。
「成程ね、十二支と江戸名所尽しだ」
手拭は一面の模様で、
細かく十二に割つた区画の中に、
十二支の動物や、塔や、橋や、鳥居や、人物が、
「成程ね、十二支と江戸名所尽しだ」
手拭は一面の模様で、
細かく十二に割つた区画の中に、
十二支の動物や、塔や、橋や、鳥居や、人物が、
統一も順序もなく並べてあるのです。
前にも書いたことがありますが、
時代ものを読む際に悩む
前にも書いたことがありますが、
時代ものを読む際に悩む
「漢字の読み方」があります。
いくつかあるんですが、今回は
「平次屠蘇機嫌」にもたくさん出てきた
「家」「店」「商売」
の話。
「家」いえ、うち
「店」みせ、たな
「商売」しょうばい、あきない
などなど。
いくつかあるんですが、今回は
「平次屠蘇機嫌」にもたくさん出てきた
「家」「店」「商売」
の話。
「家」いえ、うち
「店」みせ、たな
「商売」しょうばい、あきない
などなど。
どう読ませるかは、
毎回、出てくる度に悩みます(^^ゞ
この場合はこう読む、
この場合はこう読む、
というハッキリした基準があるわけではないので、
その都度、
その都度、
この場合はこうかな、という表現を考えるのですが…
以下は、なんとなく私が考えていることです。
「家」
関東では「うち」 、
関西では「いえ」 とも教わったのですが、
ナレーターさんなどの場合は
「house」「建物」 を 「いえ」 、
「home」「家庭」 を 「うち」 、
とする傾向もあるそう。
私の考えでは、
「家柄」「家系」 も 「いえ」 かなーと。
つまり
「家」
関東では「うち」 、
関西では「いえ」 とも教わったのですが、
ナレーターさんなどの場合は
「house」「建物」 を 「いえ」 、
「home」「家庭」 を 「うち」 、
とする傾向もあるそう。
私の考えでは、
「家柄」「家系」 も 「いえ」 かなーと。
つまり
「家柄や家系を気にするような家族の家庭」
は 「いえ」?
それと、
「建物」の大きさ もあるような気がする。
お武家様や大店の家は 「いえ」、
平次や長屋暮らしの住民の家は 「うち」。
それから、それを「誰が」言っているかも
それと、
「建物」の大きさ もあるような気がする。
お武家様や大店の家は 「いえ」、
平次や長屋暮らしの住民の家は 「うち」。
それから、それを「誰が」言っているかも
ありますよねえ…
お武家様は習慣的に
お武家様は習慣的に
「いえ」と言ってるんじゃないかとか。
「店」
やはり昔は「時代劇 → 店=たな」
「店」
やはり昔は「時代劇 → 店=たな」
と考えていたのですが、
大きな店=「大店(おおだな)」は
大きな店=「大店(おおだな)」は
「たな」という気がするけれども、
屋台や食べ物屋、
屋台や食べ物屋、
小さな店は「たな」という気がしない。
そもそも「たな」は
「商品を並べている」ところに
そもそも「たな」は
「商品を並べている」ところに
由来する言葉だと思うので、
「並べるほど商品のある大きな店」
あるいは 「商品を並べる形態の店」 や
「並べるほど商品のある大きな店」
あるいは 「商品を並べる形態の店」 や
「問屋さん」的なイメージの店 は 「たな」 、
「小さな店」
「商品を並べる形態でない店」
つまり食べ物屋さんや屋台は 「みせ」
で行こうかな、と思っています。
「小さな店」
「商品を並べる形態でない店」
つまり食べ物屋さんや屋台は 「みせ」
で行こうかな、と思っています。
これも、結構その時々で
悩みます。
「店子」「店賃」などという言葉はね、
「たなこ」「たなちん」という読みがあるから、
それはそれでいいと思うんですけれども。
「商売」
これも「店」と似てますが。
昔は「時代劇 → 商売=あきない」
それはそれでいいと思うんですけれども。
「商売」
これも「店」と似てますが。
昔は「時代劇 → 商売=あきない」
と思っていたものですが。
うまく説明はできないのだけれど、
「商っている」かどうか の、
うまく説明はできないのだけれど、
「商っている」かどうか の、
イメージと言いましょうか。
つまり「営利目的」の強さ、というかですね…
「客相手」の商売 、食べ物屋 などは 「あきない」 、
「客相手でない商売」 つまり家業というか
つまり「営利目的」の強さ、というかですね…
「客相手」の商売 、食べ物屋 などは 「あきない」 、
「客相手でない商売」 つまり家業というか
「~の道」 みたいなのは 「しょうばい」 、
つまり
「平次」の「商売(しょうばい)」は「岡っ引き」。
しかしこれもやはり、
「客商売」には「きゃくしょうばい」
つまり
「平次」の「商売(しょうばい)」は「岡っ引き」。
しかしこれもやはり、
「客商売」には「きゃくしょうばい」
という読みがあるから、
それはそれでいい気がするのだよなあ。
つまり、
「言う人」 にもよるし、 「状況」 にもよる。
「紙片」という言葉を
地の文では「しへん」と読んでも、
セリフでは「かみきれ」と読ませる。
そういう解釈は好きです。
実際の会話で
それはそれでいい気がするのだよなあ。
つまり、
「言う人」 にもよるし、 「状況」 にもよる。
「紙片」という言葉を
地の文では「しへん」と読んでも、
セリフでは「かみきれ」と読ませる。
そういう解釈は好きです。
実際の会話で
「しへん」なんてあまり言わないものなあ、
その方が 登場人物 が
その方が 登場人物 が
ちゃんと「生きてる」 ような気がする。
もちろん、「かみきれ」とルビが振ってあれば、
地の文でも「かみきれ」と読んで構わないと思うし。
私の場合、
もちろん、「かみきれ」とルビが振ってあれば、
地の文でも「かみきれ」と読んで構わないと思うし。
私の場合、
同じ字でも何種類かの読み方が混在するので、
「おや?」と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、
まあ、日々こんなことを考えていますよ、
「おや?」と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、
まあ、日々こんなことを考えていますよ、
というお話でした。
日々考えいるから、
「う~ん、こっちの方がいいかもしれないな」
などと、私の解釈も変わったりもする。
まあ、常に 悩む、考える のは
日々考えいるから、
「う~ん、こっちの方がいいかもしれないな」
などと、私の解釈も変わったりもする。
まあ、常に 悩む、考える のは
良いことだと思うのです。
あああ。勿論、これは個人の解釈ですから、
こう読まなければいけない、
あああ。勿論、これは個人の解釈ですから、
こう読まなければいけない、
というわけではありませんよ。
朗読する人によっても、
朗読する人によっても、
それぞれ解釈があって良いと思うのです。
とりあえず、私は、
お話の中の登場人物が、生き生きとしていること。
それを求めます。
次回へつづく
とりあえず、私は、
お話の中の登場人物が、生き生きとしていること。
それを求めます。
次回へつづく
(三)
【紺屋】 こんや
江戸時代に染め物屋をさした言葉、
【紺屋】 こんや
江戸時代に染め物屋をさした言葉、
または店の主人。
【木戸】 きど
「木戸銭」の略。
芝居小屋などの木戸口で支払う入場料。
【木戸】 きど
「木戸銭」の略。
芝居小屋などの木戸口で支払う入場料。
木戸。札銭。
(四)
【一両二分】 いちりょうにぶ
江戸時代の金貨の単位。
(四)
【一両二分】 いちりょうにぶ
江戸時代の金貨の単位。
金貨には「両」「分」「朱」がある。
小判一枚が一両。
小判一枚が一両。
一両は、今の相場にして5~13万円くらい。
二分は一両の半分。
【九両】 くりょう
「どうして九両三分二朱」
二分は一両の半分。
【九両】 くりょう
「どうして九両三分二朱」
と言う江戸川柳があったそうです。
「どうして九両(くれよう)三分二朱」
江戸時代は、
「どうして九両(くれよう)三分二朱」
江戸時代は、
「十両盗むと首が飛ぶ=死罪」といわれていたので、
奉行が、九両三分二朱盗んだ者を裁くときに
奉行が、九両三分二朱盗んだ者を裁くときに
悩んでいる様が浮かびますね。
また被害にあった商家で、
また被害にあった商家で、
犯人が死罪になると寝覚めが悪いので、
被害額を十両以下だと届けることもあったそう。
【糶屋】 せりや
多分、「せどり」のことではないかと。
せどり(競取り、糶取り)とは、
同業者の中間に立って品物を取り次ぎ、
被害額を十両以下だと届けることもあったそう。
【糶屋】 せりや
多分、「せどり」のことではないかと。
せどり(競取り、糶取り)とは、
同業者の中間に立って品物を取り次ぎ、
その手数料を取ること、それを業とする人。
一般的には古本用語を元にした
一般的には古本用語を元にした
「掘り出し物を第三者に販売して
利ざやを稼ぐ」商行為を指す言葉。