ゴンザレスのブログ -10ページ目

ゴンザレスのブログ

ブログの説明を入力します。

新大橋通りを水天宮の方から築地に向かって行くと、蛎殻町の交差点で二股に別れます。左が本線で、すぐに茅場橋があり、右の通りを行くと「鎧橋」があります。
広重の「江戸百」に日本橋川沿いに倉の建ち並んだ構図の「鎧の渡し小舟町」と言うのがあります。橋の完成により渡しは廃止になりました。時は明治5年(1872)のことです。
ゴンザレスのブログ
三連のゲルバー橋です。一見何の特長もありませんが。

ゴンザレスのブログ
親柱、鎧をイメージしたのでしょうか。この横に「鎧の渡し」の案内板が立っています。

ゴンザレスのブログ ゴンザレスのブログ
欄干と手すりが御影石です。雨に濡れると石は黒くしっとりいい感じになるのでしょうが、橋の上を無粋な高速道路が覆いかぶさっています。

ゴンザレスのブログ
鎧橋のたもとにある東京証券取引所。

ゴンザレスのブログ
近くの銀行の壁に「銀行発祥の地」の碑がはめ込まれていました。

ゴンザレスのブログ
どのビルにも証券会社の看板があります。まさに金融の街です。茅場町の交差点にて。

ゴンザレスのブログ ゴンザレスのブログ
ちょっとレトロっぽい建物を探してみました。

車で走ると気がつかないくらい地味な橋ですが、石を使ったシンプルなデザインと橋を取り巻く環境は捨てがたいものがあります。

アクセス 東京メトロ東西線「茅場町」



隅田川は佃島で二手に別れ、右が本流で中央大橋、佃大橋、勝鬨橋をくぐって東京湾に至ります。
左に行くのは支流で晴海運河です。今回はこの運河に架かる「相生橋」です。
最初の架橋は明治36年(1908)と比較的新しくて、それまでこの地は渡し船に頼る不自由な土地でした。震災後の帝都復興の折、復興局により架設された「復興橋」のひとつです。現在の橋は平成10年(1988)に架け替えられたものです。
佃島については「中央大橋」のときちょっと触れましたが、もともとここは石川島と言われていて、江戸時代には人足寄場があったり、幕府の造船所(のちに払い下げられ石川島播磨重工、今のIHI)がありました。
ゴンザレスのブログ
端正なトラス橋です。

ゴンザレスのブログ
清澄通りを渡し、中央区佃と江東区越中島を結びます。

ゴンザレスのブログ
佃二丁目あたり。このあたりに石川島播磨の工場がありました。いまは大川端リバーシティ21の高層マンション群になっています。ビルの向こうに中央大橋が見えます。しかし、ここから視線を左に向けると昔の佃があります。
ゴンザレスのブログ
少し前まで佃は全体がこんな感じの町でした。

ゴンザレスのブログ
佃から橋を渡ると江東区で、こんな大きな錨が迎えてくれます。越中島公園の近く。

ゴンザレスのブログ
越中島公園のテラスから相生橋を見る。手前は
水上公園です。かつては島でしたが今は陸続きです。

ゴンザレスのブログ
テラスに座って行きかう船をボンヤリ見ているのも、たまには良いかも。

ゴンザレスのブログ
越中島公園から清澄通りを渡ったところに東京海洋大学(旧商船大学)があります。校庭の一角に
明治丸 (重要文化財)が展示されています。


アクセス 東京メトロ有楽町線、都営地下鉄大江戸線「月島」、JR京葉線「越中島」
隅田川に架かる江戸四橋と言えば、下流から永代橋、新大橋、両国橋そして大川橋(吾妻橋)です。しかし、隅田川で最初に架けられた橋はこの千住大橋。徳川家康江戸入城から4年後の文録3年(1594)のことです。千住は五街道が整備されると、奥州道最初の宿場街として大いに栄えました。江戸四宿のひとつです。
江戸 深川 の採荼庵を船で出立した芭蕉は千住で陸に上がります。橋の傍らに「おくのほそ道」矢立の碑があります。
ゴンザレスのブログ ゴンザレスのブログ

架橋当時は単に「大橋」と呼ばれていましたが、その後両国橋、新大橋などがてきて「千住大橋」となりました。
ゴンザレスのブログ

上流側に水道管を渡す橋があり、橋全体が画面に入らないのが残念です。
ゴンザレスのブログ
現在の「大橋」は1927年に架け替えられたアーチ橋です。これは下り専用に使われています。左側に上り専用の橋が昭和48年に架けられましたが、左右の調和が全く取れていません。


アクセス 東京メトロ日比谷線、JR常磐線「南千住」、京成本線「千住大橋」