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白鬚橋は隅田川に架かり、明治通りを渡します。東側の墨田区東向島と西側の台東区橋場、荒川区南千住を結びます。最初の架橋は大正3年で私設の有料橋でした。
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震災後東京市に買収されアーチ橋
に架けかえられたました。まわりの景色が今までの隅田川に架かる橋のと違い、ちょっと上流に来た雰囲気があります。南千住側から東向島を望む画像。
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ゆったりしたアーチとトラス桁の調和が絶妙です。

ゴンザレスのブログ-白鬚神社
橋の名前の由来となった白鬚神社。

ゴンザレスのブログ-旧墨堤通り
のどかな旧墨堤通り。奥の木立のあたりが
白鬚神社です

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南千住側の橋のたもとにある石濱神社。境内にガスタンクを抱えているような異様なシチュエーションです。

ゴンザレスのブログ-向島百花園 ゴンザレスのブログ
明治通りから一歩奥にある向島百花園入口。江戸時代、墨堤の桜、清らかな流れと花ショウブなど、このあたりは花の名所でした。そんな土地を愛した榎本武揚の像がありました。もう少し先に行くと文豪幸田露伴が住んだ蝸牛庵あとがあります。今の東向島はかつての寺島町、その名は小学校とか図書館に残っていますが、永井荷風の「墨東奇譚」の舞台でもあり、奥深い土地です。
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この先「通り抜けられます」、狭い路地が入り組んだ「鳩の街」(かつてのラビラント「玉の井」)。ヒョッコリと、コウモリ傘を持った荷風先生とお雪さんが現れそうです。


アクセス 都バス里22系 日暮里駅発亀戸駅行で「橋場二丁目」か「白鬚橋東」 


橋の名前って、どうやって付けるのでしょうか?
たとえば隅田川に架かる「言問橋」(ことといばし)…

名にしおわばいざ言問わん都鳥
 わが思う人はありやなしやと

在原業平の歌にちなんでつけられた、とありますが、誰がこんな美しい発想をしたのでしょうか。

夕暮れに 眺め見あきぬ隅田川 月の風情を待乳山 帆かけた船が見ゆるぞえ
 アレ鳥が鳴く 鳥の名も都に名所があるわいな
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唄に歌われた待乳山聖天。

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三囲(みめぐり)神社

…その頃うちは向島に住んでいたから、浅草に出るのは竹屋の渡しによるか、一銭蒸気に乗るか……(幸田文)
「竹屋の渡し」は待乳山と三囲神社を結んでいて、言問橋はこのあたりに架けられました。

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震災後(1928年)に架けられたゲルバー橋です。
江戸時代、このあたりは王子の飛鳥山と並んで花の名所として多くの人出で賑わったそうです。震災後、この橋の両岸に隅田公園が、桜の名所としてばかりではなく防災拠点としても整備されました。
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墨田区側にある向島の隅田公園。昔の小梅村あたりか。


アクセス 都バス東42甲系、南千住車庫発東京駅八重洲口行き、東神田行きで「隅田公園」、上26系業平橋駅発上野公園行きで「隅田公園」か「言問橋」



「吾妻橋」は江戸四橋のひとつで当時は「大川橋」と言うのが正式名。江戸の住民は東にあるから「あづま橋」と呼んでいたそうです。安永3年(1774)に地元の住民によって架けられた銭取橋です。四橋のなかでは最後に架けられた橋ですが、明治20年に隅田川最初の鉄橋として架け替えられました。現在の橋は震災後昭和6年(1931)に架けられたものです。
歌川広重の「名所江戸百景」のなかにも、「吾妻橋金龍山遠望」と「駒形堂吾妻橋」と吾妻橋が入ったものが二点ありますが、どれも橋が遠景でよくわかりません。
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雷門のイメージでしょうか、全体が赤で統一されています。左側に浜離宮やお台場海浜公園に行く水上バス乗り場があります。向こうにある黄色い物体は「炎のオブジェ」、隣はアサヒビール本社。

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水上バス乗り場、天気の良い休日は長蛇の列。近づくとその大きさがわかります「炎のオブジェ」。

三連のアーチ橋です。浅草方面を見た画像。

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ここからのショットは定番ですが。

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運が良ければこんなきれいどころに会えるかも。道路の向こう側に東京メトロ銀座線「浅草」駅が見えます。

アクセス 都営地下鉄浅草線、東京メトロ銀座線、東武伊勢崎線ともに「浅草」