ティワナク遺跡へ
ラ・パスで博物館めぐりをすると同時に、われわれはその文化の舞台であるティワナク遺跡のツアーを申し込んだ。
こんなにかわいい遺物たちがいた場所を、実際に見てみたくなるのは当然の流れであった。
ツアー自体は、居心地がよくなかった。
ガイドは「せっかく遺跡に来たのだから、遺跡になるべく長く滞在して博物館は最低限の時間にしよう」と言った。
たしかに刑事ドラマでは「事件は現場で起こっている」と言うし、室内で理屈をこねているよりも本物の遺跡を体感したほうがよいのかもしれない。
ただしそれは低地でやってもらいたい。
ラ・パスから72km地点にあるこのティワナク遺跡は、ガイドによると標高3800mを越えているという。
高地に適応しきれていないわたしは、陽光がさんさんと降り注ぐ遺跡で説明を聞いているうちに、夏休み明けの朝礼で校長の話を聞きながら目の前が暗くなるのと同じ状態になり何度も座り込んだ。
つまり貧血である。
世の中には本物の遺跡をまわるよりも日陰でレプリカを眺めていたい人間もいるということを、ガイドには理解してもらいたいものだ。
さらには昼食を予約するか聞かれた際、ガイドはわれわれの挙手を見逃し、いざレストランに着席するとわれわれの席にだけ食事が運ばれてこなかった。
こういうことが起こると夫は怒るが、わたしはただただみじめな気持ちになる。
「われわれの肌の色が違っていたらないがしろにされなかったのではないか」と無意識の差別感情を疑い、そして疑えば疑うほど自分が傷つくが、そういう疑いが芽生える程度には、この東アジアの顔立ちに対する敵意や侮蔑に出くわしてきた。
ティワナクのデザイン
しかし遺跡に残されたティワナクの遺物はおもしろかった。
遺跡自体はマチュピチュのように舞台装置があるわけでもなく、広大なだだっ広い乾燥地帯に、石像やら半地下の神殿やらが点在している。
石像は丸みのある立方体や直方体を組み合わせたような形をしており、模様が彫られているがその彫りは浅めだ。
全体的には大胆なのに、細部は繊細なのである。
一番デザインが印象深いのは「太陽の門」。
この中央に配されているのは創世神ビラコチャであり、周りには鳥と人が合体したような存在が彫られている。
そして半地下神殿では壁から顔がボコボコと出ており、このデザインのルーツや意義を知りたくなる。
そのボコボコ感はまるでモグラ叩きを垂直にしたかのように見えるので、ピコピコハンマーでぶっ叩いて凹ませたくなる。
ツアーの最後はプーマプンク。
ここはドアのようなものが転がっている開けた場所であり、それは複数の素材を混ぜて作られているそうである。
現在ペルーの大学などが分析を進めているが、この大昔のテクノロジーはまだまだ解明されていないようだ。
そんなわけで朝から移動し、昼食を抜き、夕方宿に戻ったときにはすっかり疲れきっていた。
そして高山病の再発なのかラ・パスでの大きなミッションをこなした安堵からか、わたしはその後下痢や咳などの不調に悩まされ始めた。
しかしそれでもティワナク文化が遺る場所に行ったことは、この旅になくてはならない過程だったと思う。
ティワナクのデザインはそれほどわたしと夫に大きな印象を与えていたのである。
(石像は数体あり、この右手はよく見ると不自然な方向を向いている。
理由については諸説あるよう)
(顔ひとつとっても模様、模様、模様の連続。
土器もこのような調子で装飾されているのですっかり魅せられた)
(太陽の門)
(後光がさしているように見える)
(半地下神殿)
(顔がひとつひとつ異なっている)
(プーマプンク)
わたしはスペインのカトリックの巡礼路を2度歩いたにもかかわらず、スペインに対し愛憎入り混じった感情になることがよくある。
ラテンアメリカの大部分を征服し、植民し、遺跡を壊し、宗教を押し付けたのはスペインである。
スペイン語が南米で広く通じるのも「どこでも使えて便利」などという問題ではなく、スペインがどれほど広大な土地を植民していたかを示している。
このティワナク遺跡にもスペイン人がぶっ壊そうとした跡が残っている。