死への旅
アンデス南海岸では砂漠気候が幸いして織物がよい状態で保存されたのに対し、北部の織物はエルニーニョ現象による豪雨や湿度の上昇に耐えることができなかったという。
そのため残っている織物には限りがあるが、それでも天野織物博物館のコレクションを見ていると、アンデス世界でいかに時間や人員を投入して布を製作していたかを感じとれる。
そして織物には人間が衣服として着るためだけでなく、死者を包み込む役割もあった。
アンデス世界の死生観では死は終わりではなく、祖先への変化のプロセスだったのだ。
特に織物と死者崇拝に関しては、ペルー南部海岸地域のパラカス文化が注目される。
パラカスでは「上質のマントで幾重にも包まれた死者を副葬品とともに埋葬」した。
そして死者を包んだ大布には「死者に伴って死後の世界へ伝えられるべき宗教的な情報が織り込まれて」おり、「技法や図案のパターンを見ると、その全てに何らかの意味があり、適当に配置された部分がないことがわかる」(ラルコ博物館図録より)。
そのパラカスの布はラルコ博物館にも天野織物博物館にも展示されている。
それを見てわたしは、死後の世界があるかどうかは死んでみないとわからないが、以前ほど「死んだら終わり」とは割り切れなくなった。
葬式や埋葬もどこか遺体の事後処理のように思っていたが、そうではないのかもしれない。
こんなに美しい大布に包まれて埋葬されたなら、その先にも意味があるのではないか。
手の込んだ美しい布を幾重にも巻きつけ、副葬品を添えた親密さを感じさせる埋葬は「死への旅」を感じさせる。
博物館の遺物というのは結構な割合で墓から掘りだされたものであり、わたしたちはこの1年間世界各地の博物館で、他人の骨壷であったり副葬品であったりときには遺体そのものをせっせと見てきたのだ。
それは文化や時代ごとに、やり方も考え方も多様だった。
埋葬時に焼くのか埋めるのかミイラにするのか。
そしてどのタイミングで埋葬するのか。
遺体の容れ物も一本の丸太からできた棺、牛の形をした棺、重厚な石の棺、小さな壺などさまざまだ。
そうしたものを見ながら、死が命の終わりではなく通過点の一つであるのかもしれない、という感覚が芽生えてしまったことに、わたしは少し戸惑っている。
(ずっと同じ図柄の反復か思いきや、色や細部を変えていることも多い)
(上着の一部。
透けていたりふさ飾りがついていたり、気が遠くなるほどの技術の結晶と思う)
(階段や人の横顔らしき図象が織り込まれた布の細部)
(チムー帝国の王侯貴族の服。
アマゾンに生息する鳥の羽が使われている)
(これはラルコ博物館にあったパラカスの大布。
横方向にはネコの体の中に小さなネコがおり、縦方向にもネコが繰り返されている。
かなりの大きさで「大布」と言うだけのことはあり、圧倒された)
(そのアップ)