天野織物博物館へ
わたしはペルーのリマを訪れるにあたって、ラルコ博物館だけではなく、天野織物博物館もぜひ再訪したいと思っていた。
天野織物博物館はペルーで活躍した実業家、天野芳太郎が収集したコレクションを展示する博物館で、その収集品の多くは織物である。
アンデスの織物自体は他の博物館でも見られるが、織物を中心にすえ、あくまで織物という切り口でアンデス文化を辿っている点が珍しい。
8年前に訪れた際、土器だけでなく織物にも独自の世界観が反映されているのをこの博物館で目の当たりにし、しかもそのコレクションを日本人が作り上げたということで、わたしはたいへん感銘を受けた。
そんなわけで今回は夫にもぜひ織物を見せねばと思い、夫を引き連れての再訪である。
こんな素晴らしいものは分け合わなくちゃ、だってわたしたち夫婦だもの。
この博物館はリマのミラフローレスという地区にある。
ありがたくないことにそこは普通の食堂などめったに見当たらない高級なエリアで、オシャレな店など全部つぶれてしまえばいいのにと思いつつ食事場所を探す。
探すと見つからないのが世の常。
われわれはちょっと高いなあと思いつつ、仕方なくカフェに入って一番安いランチメニューを食べた。
そして支払いのためにカードを出すと、ウェイターはわれわれに「オレにチップは?」と聞いてきた。
チップ慣れしていないわれわれであるので、クレジットカードでの支払いでそのような仕組みがあることを知らなかった。
チップとは現金払いの際に小銭を上乗せして渡したり、端数を切り上げておつりは結構、というようなものだと思っていた。
しかもこの店はレストランではなくカジュアルなカフェであり、出てきた料理はまあ普通においしかったが、ご飯はおそらく昨日炊いたものの温め直しと思われるかたさだった。
そしてサービスがよいわけでも量が多いわけでもなく、むしろ最初からサービス料が含まれているような価格設定だったので、われわれは「英語もスペイン語もぜーんぜんわからない」作戦を敢行して店を出た。
その態度が適切かどうかはわからない。
しかしわれわれとしては、おいしい料理を安い値段でたくさん出してくれる普通の食堂のおじさんやおばさんにこそ、感謝のチップを渡したいと思った。
アンデスの織物は宇宙だ
博物館は通りからちょっと入った場所にさりげなく建っている。
記憶をたどりながら中に入ると、受付には日本語が堪能な日系人の好青年がいた。
わたしがスペイン語を交えて受け答えをすると青年は「スペイン語じょうず!」とおだててくれ、その笑顔があまりに爽やかだったので、わたしは一瞬横に夫がいるのを忘れてときめいた。
チップボックスがあれば紙幣を入れていたであろう。
青年に見送られ展示に進むと、アメリカ大陸での織物の歴史から始まり、そこからアンデスの様々な文化が展開されていく。
8年前にはなかったように思うが、個々の説明に日本語訳が付されているのもありがたい。
「織物」といっても織り方や材料はさまざまであり、染め物や帽子やポーチもある。
またその役割も「衣服として、身体をあたためる・守る」だけではない。
為政者と一般の民衆を区別したり、宗教的なメッセージを含んでいたりと、一枚の布がはらんでいる情報は現世だけにとどまらないスケールがある。
暗い照明の部屋を行ったり来たりしながら、織物の細部に目を凝らす。
刺繍や染色のテクニックに脱帽すると同時に、衣服にもデザインが徹底されていることに驚く。
土器だけでなく布にも超自然的な存在が描かれ、それはナスカの地上絵にも共通するような、地球の常識にとらわれない宇宙的センスを感じるのである。
わたしは宇宙人も神も実感として存在を認めたことはないが、こうした布や刺繍を見ていると、この世界にはわたしの知らない何か別次元の生命体がいるのではないかという気になる。
ラルコ博物館の図録によると、古代アンデス社会で織物には金や銀と同等の価値があったそうだが、それも説得力がある。
布の細部から感じる宇宙的な広がりが好きでたまらず、わたしはまたこの博物館に戻ってきたのであった。
後編に続く。
(ネコ科動物、ヘビ、鳥はアンデス社会において神聖な動物であった。
そうした動物が取り入れられているのを見てとれる)
(情報が密)
(糸の色がずいぶん鮮やかだと思う。
アンデス文化は今遺物から想像できるものよりずっとずっとカラフルだったのかもしれない)
(このポーチを再現してくれたら買うのに。
徹夜して並んででも買うのに)
(一つ一つのデザインに意味が込められているので、一つも見逃せなくて困る)
(夫曰く「訴えかける力がすごい」人形)