アストゥリアス最後の宿
巡礼37日目、フィゲラスという小さな町のアルベルゲは、アストゥリアス州最後の宿だった。
そこはカミーノ《北の道》の分かれ道の途上にあったせいか、われわれのほかに巡礼者は見かけなかった。
宿はレストランも兼ねているため夕食に巡礼者メニューを注文し、飲み物はシードルを頼む。
「アストゥリアス最後だから」というと、宿のおばちゃんはニヤッと笑った。
そう、シードルはアストゥリアスの名物である。
ここから先のガリシアでは、当たり前のようにはシードルを飲めないであろう。
おまかせで料理を出してもらうと、まず出てきたのは大きなポットに入ったガリシア風スープ。
フタを開けると、中には具がごろごろ入ったスープが2人分とは思えないほどなみなみと入っている。
具材はジャガイモ、葉野菜(カブの葉?)、チョリソ2種、骨つきの肉のかたまり、白インゲン少々。
中でも肉の存在感が非常に大きい。
このスープ、具材がすべて一体となった本格的な味で、わたしの人生で遭遇した最もうまいスープではないかと思う。
夫もわたしもたっぷり2杯ずつ飲んだ。
いや、たっぷり「食べた」と言わなければ、ごろごろ入っていた肉と野菜に失礼であろう。
2皿目はフライドポテトと豚肉のソテー。
豚肉はバジルとニンニクで味付けがしてあるようで、目玉焼きも乗っかっている。
こうしたフライドポテトと肉の組み合わせはよく見かけるが、ここの豚肉は非常にブリブリした食感で味付けもちょうどよかったので、わたしも夫も全てたいらげ、スープですでに十分目になっていた腹が十二分目くらいまでふくれた。
そしてデザートは別腹。
ホームメイドのプリンであったが、これはただのプリンではない。
おばさんは「私はこれがとっても好き」と言いながら、目の前で型から皿に落としてくれる。
そして食べてみると、こってり、かつしっとり。
ハチミツやアーモンドの味がするプリンだ。
「おいしいもの食べたらしあわせやろ」という夫の言葉どおり、翌日歩きながら何度もわたしは「スープおいしかったなあ」「プリンもう一回食べたいなあ」と昨夜の味を思い出し、そのたびに幸福感が再現された。
こうしてわれわれはおいしい思い出とともに、《北の道》3州目のアストゥリアスを後にしたのだった。
路上の贅沢
さて、そうしたレストランや宿での巡礼メニューは非常においしく忘れがたいものだが、わたしは意外とピクニックも好きだ。
午前中に通った町のパン屋でバゲットを買い、お昼頃小さな教会の前のベンチに腰をおろし、スーパーで買っておいた生ハムをつまみながら、持ち歩いているバターを塗ったパンにかぶりついているとき、わたしは、いやわれわれは幸せを感じている。
のどかで、静かで、パンをかじる音だけが響く、スペインの田舎。
夫は咀嚼しながらふと、
「今こんなとこ歩いとんのも、帰ったら忘れていくんやろなあ」
と言った。
わたしは普段なるべく詳しく日記をつけているが、それもわずかな助けにしかならず、ほとんどの景色は手から水がこぼれるように忘れていくだろう。
しかし忘れないものも確かにあって、わたしは以前の《フランス人の道》のいくつかの場面ははっきりと覚えている。
カミーノ2日目、ロンセスバージェスの宿を出るときに見た夜明けのピンクがかった空。
友人や夫とパエリアを食べに行った店の様子(夫はこのとき「初めてアヒージョを食べた」と言っていて、「なんか素朴な人でいいなあ」と思った。そんな頃もあった)。
サンティアゴのその先、ムシアに着いたときの「もう歩かなくていいのか」という寂しさ。
そして今回の《北の道》では、教会の前や道路わきやさまざまなところでパンを食った場面が、いずれそうした記憶の一部になる気がする。
朝から何キロも歩いた後、その辺に腰を下ろして食うパンは、贅沢な路上の巡礼メニューなのである。
(アルベルゲ Camino Norteにて。
ガリシア風スープ)
(豚肉のソテー。卵の半熟具合も完璧)
(もう一度食べたい自家製プリン)