最後の州、ガリシアへ
巡礼38日目もまた、節目の日だった。
前日たらふく巡礼メニューを食った満腹感のままに気分よく眠りスッキリ起きて、ナッツバーとみかんだけ食べて宿を出る。
そしてアストゥリアス最後の町フィゲラスからガリシア州のリバデオへと、長い長い橋を渡り、州境の川を越える。
この橋は渡り終えるまでに10分以上かかった。
大型トラックが通るたびに橋が揺れ、この川に落ちたらバックパックの重みで助からないに違いない、などとというネガティブな想像を喚起されて足がすくむ。
そうして着いたリバデオは海のにおいのする町。
いよいよ最後の州に入り、巡礼も終盤にさしかかったのだと感慨がわく。
開いていたバルでトーストとビスコッチョの朝食をとる。
ビスコッチョとはシンプルなスポンジケーキであり、味はカステラである。
日本のカステラより生地がかためでしっかりしており、店によるが甘さはやや控えめである。
ビスコッチョは安価でおいしいので夫もわたしも気に入っている。
そこから集落を抜け、舗装された山を登って下る。
ここ最近は毎日雨。
一日中降り続くわけではなく、降ったり止んだりの繰り返しだ。
雨脚が強くなったときには木の下で雨宿りをする。
日本にいるときは「木の下で雨宿り」などしたことはないので、これもオルレ(韓国、済州島の巡礼路)やカミーノならではの体験だなあ、と思う。
山から抜けて開けた景色の道に出ると、雨が止んで晴れ間が見えたこともあって、いっきに足取りが軽くなる。
宿はまだか、と思いながら最後に長い上り坂。
そしてビリャマルティン・グランデの宿に着いたのは午後3時半だった。
隣り合った国旗
この日のアルベルゲ(巡礼宿)はトイレ・バス共用の個室。
感じのよい若いスタッフが案内してくれ、カフェも併設されていてゆっくりとくつろげる。
周りにあまり店もなさそうなので、夕飯は宿の巡礼メニューを頼む。
ダイニングに集まり、大皿で運ばれてきたものを巡礼者皆で分け合う方式だ。
エビやムール貝がたっぷり入った海鮮パエリアは豪華でおいしい。
そこでわれわれは韓国人の3人組と同じテーブルになった。
姉妹と思われる女性2人と、妹(?)の夫。
あいさつだけしたあとは各自のグループで話をし、料理を取り分けるのもそれぞれ自分で行った。
このように韓国人と海外で会うと、なんとなくわたしは「楽だな」と思う。
生活習慣が似ているので、無理して気を利かせずともいいのだ。
しかしこの旅を済州島から始めたわれわれであり、韓国語も勉強中なので、せっかくならちょっと話しかけてみたいと思った。
そして脳内の韓国語の引き出しから単語を取り出し並べようとしたが、はて、3人組はわたしよりも年上である。
初対面で年上ということは、ハムニダ体という一段上の敬語を使った方がよいのではないか。
あれ?
語尾はどうなるんだっけ……?
さんざん逡巡した末に正確な韓国語は諦め、結局語尾を濁しながら
「オルレの道を全部歩きました」
と言いつつ済州の写真を見せた。
すると姉妹とその夫は「スゴイですね!」と日本語で言い、英語9割、残り1割を日本語と韓国語を交えて少しだけ会話したのだった。
翌朝、セルフサービスの朝食をとりに台所に行くと、韓国人の3人組はもう食べている最中だった。
そしてわたしがコーヒーの用意をしていると、姉妹の姉が
「Excuse me」
と呼ぶので見てみると、妹が机の上に砂糖の袋を並べていた。
この宿に置いてあった砂糖の袋には、世界の国々の面積や人口、国旗が印刷されている。
そして机上に並んだ旗の一番端には日本が、そしてその隣に韓国があった。
韓国人女性はいくつもの国旗の中でそのふたつを隣り合って並べた。
そしてそのふたつはどちらも白地の中央にマルがあり、さまざまな国旗のなかで際立って似通っていた。
韓国人は隣人である。
そして彼らもわれわれを隣人だと思っている。
わたしは机上の国旗の列を見たときそう確信し、小さな感動を覚えた。
思えばわたしが手を出した言語は英語、スペイン語、ロシア語、韓国語であるが、最初の3つは植民地を持っていたために汎用性が高い、支配者の言語である。
韓国語だけは、「隣の国だから」という気持ちで始めた。
そのことを思い出したのだった。
(ガリシアへと入る長い長い橋)
(歩きながらずいぶんといろんな花を見た)
(きた! ガリシアの細長い高床式)
(道の途中で、さりげなさに心打たれる)
(宿からの眺め)