ガリシアの巡礼路について思うところ
巡礼39日目。
宿を出たとき晴れていた空は徐々に曇って雨となり、そしてまた晴れ、その合間に虹が見えた。
この日はまとまった町を2つ通過する。
1つ目はロウレンサーという町で、観光案内所で巡礼スタンプを押してもらったり、夫の靴下を買ったり(巡礼中、夫の靴下には頻繁に穴があく)、パン屋とスーパーで昼食を調達したりした。
そうそうスーパーといえば、バスク地方でよくイカスミパエリアを買い、アストゥリアスではとんと見かけなくなった大手スーパーEROSKIがガリシア地方で復活した。
もう会えないと思っていたEROSKIにまた出会えて懐かしい気持ちになった。
さて、そこからは本日2回目の山越え。
長い上り坂に息が上がるが、ガリシア地方に入ってからというもの巡礼路が歩きやすくなっており、巡礼初期の険しいバスクの山々とは様相が異なっている。
雑草は刈られ、道は舗装されている。
ゴツゴツした岩をのぼったりぬかるみに足をつっこんだりしなくてもすむのである。
この露骨なまでの変化について、われわれはこう考えた。
州都に巡礼路のゴール、聖地サンティアゴを擁するガリシア地方には、どこからか資金が潤沢におりてきているのではないか。
あるいはユネスコ世界遺産の権限を持ったえらい人が視察に来たりするので、山道にもアスファルトを敷いたのではないか。
つまりわれわれのあずかり知らぬ政治や経済の論理が働いているのではないか。
歩く方向を示す矢印が書かれたマイルストーンも、ガリシア州では数が格段に増えた。
他の州では「矢印はどこ? どこ?」と標識を探しながら、この道で本当に合っているのかと不安になるような区間もあったというのに、ガリシアではそこらじゅうに矢印があるほか、サンティアゴまでの距離もいちいち記されている。
このゴールまでの距離はいちいち書かなくてよいのではないかとわたしは思う。
なぜなら坂道では歩けども歩けども距離は進まず、
「え……。
こんなに上ったのにまだ500メートルも進んでないのか……」
とガッカリするからである。
疲労具合と進んだ距離が全く比例しないという、そんな事実はいちいち知りたくない。
ガリシア州のカミーノ予算の一部を別の州の草刈りや標識の整備にまわしてくれればいいのに、などと勝手に文化予算の配分を考えながら気を紛らわし、山を越えたあとの小さな町の教会の前で、先刻パナデリア(パン屋)で買ったパンを、バターとサラミとともに食べた。
森の中の道をとおって、モンドネェードという町に着く。
ここにはアルベルゲ(巡礼宿)も選択肢が多く、そのうちのひとつの窓からは前述の韓国人3人組の姿が見えたので手をふると、向こうも大きくふりかえしてくれ嬉しかった。
彼らにはどこかでまた会えたらいいなと思う。
モンドネェードの広場には立派なカテドラルもある。
カテドラルは有料であり、時間もなかったので見学はしなかったが、土産物屋でカミーノ柄のノートを購入。
巡礼ハンコもスタンプ帳に押してもらって満足した。
1日にたくさんハンコがたまると嬉しい。
わたしはハンコ集めの高揚感をsello(セージョ、スペイン語で「スタンプ」)とアドレナリンをかけて「セジョレナリン」と勝手に名付けている。
今日はセジョレナリンがいっぱい出たなあ。
さて、この町には宿が複数あり買い物も便利そうだが、われわれはもうひとつコマを進める。
町を出て2.5km先まで、本日最後の長い長い上り坂。
今日のメインイベントは町での買い物でもカテドラル探訪でもない。
画家の家に泊まることなのである。
後編へ。
(雨上がり)
(ガリシアの森)
(誰が刺したんだろう)
(教会前のベンチでピクニック)
(高床式倉庫の下を通る道。
高床式の下を通るなんて夢のような体験だ)
(モンドネェードのカテドラルの装飾)
(本日最後の上り坂の途中で、ここ最近よく見る花が群生していた。
この花の内部には白いぶつぶつがたくさんあって、遠くから見るとかわいいが近くから見るとちょっとゾッとする)