画家の家
モンドネェードからさらに1時間弱かけ、予約していた巡礼宿にやっと着いたのは午後4時過ぎだった。
そこは少人数しか受け付けない宿であるため、早くから距離と日数を逆算して予約の連絡を入れていた。
さて、なぜ周りに何もないこの宿をわざわざ目指したのかというと、それはオスピタレイラ(巡礼宿の管理人)が画家だと知ったためである。
宿に着いたとき、高床式の部屋の中から音楽が流れていたので中を覗くと、女性が机に向かって作業している。
この人が画家で人類学者のオスピタレイラ!
イメージ通りのウェルカムな雰囲気である。
高床式のアトリエでチャイをごちそうになりながら作品を眺めた。
ピンク、緑、赤などビビットな色合いを用いた彼女の絵は、どこかアボリジナルアートやメキシコの色彩と共通している。
話を聞くとラテンアメリカで仕事をしていたという。
だからこの人の中には中南米の色彩があるのか、と腑に落ちた。
アルベルゲといえば2段ベッドが無造作に置かれていることが多いが、この宿でのわたしたちの寝室は画家の家の一室であり、壁には絵がいくつもかけられていた。
タッチの違う風景画も複数あったので画風を使い分けているのかと思ったら、一部は画家の母親の作品だという。
母娘の絵が共鳴する空間で一晩過ごせるなんてとても貴重な体験だ。
そして隣の部屋には本棚があった。
本棚には本だけでなく世界各国の人形が置かれ、本は床にも積まれており、近づくと古本屋のにおいがした。
わたしが大好きなほっとするにおいである。
本日投宿する巡礼者はわれわれのみであり、名前から日本人ではないかと推測した彼女は
「遠くから来たから、なじみのある食材のほうがくつろげるでしょ」
という配慮で、自分で栽培したシイタケを使ったスープや、ジンジャーライス、魚のムニエルなどを出してくれた。
箸も出してくれたので使うと、やはりナイフやフォークより思い通りに動いてストレスがない。
食事の後は着物姿の女性を描いた絵を見せてくれた。
「きっと日本人から見たら違和感があるでしょう。
でも『他文化から見た日本』という意味でおもしろいでしょ」
と画家は言った。
たしかにその絵は「他文化から見た日本」であり、浮世絵や芸者を彷彿とさせ、今どきの日本とはかけはなれた女性像だった。
しかし単なるステレオタイプな日本ではなく、それは彼女の色だった。
原色の中南米の色彩がキャンバスの中の日本女性像にも表れていることが好ましく思えた。
それは彼女の日本風創作料理同様、画家の経験や思い出が反映されたものだった。
この宿は画家とその家族の人生が詰まっている記憶の堆積であり、その記憶を巡礼者たちは持ち帰る。
わたしにとっても今回のカミーノ中、最も印象的な宿のひとつになった。
真夜中のできごと
その夜、不思議なことが起こった。
5月のスペインはまだ肌寒く、山間部であるためもあって夜はけっこう冷え込む。
わたしは毛布を借りてはいたが、その下には持っている服を重ね着したうえウルトラライトダウンまで着込んでいた。
夜中、部屋に人が入ってくる気配があった。
うとうとしながら目を開けると、腰をかがめた身体の大きな中年女性がいる。
手に持ったなにかをストーブらしきものに注いでいる。
わたしは「画家がストーブに石油を入れて部屋をあたためてくれた」と思った。
その直後から身体が温かくなり、上着を脱いで朝まで気持ちよく眠れたからである。
翌朝その部屋にはストーブなどなかったので、きっと夫がトイレにでも行ったのを見間違えたのだろうと思い夫に確認すると、一度も部屋から出なかったという。
しかし確かに人の気配があった。
わたしは画家にも確認したが、彼女は
「寒かったの? 毛布はちゃんと使った?」
と言った。
夫でも画家でもない。
では、あれは誰だったのだ……。
夫には「それを夢って言うんやで」と諭されたが、わたしは生まれて初めて「見た」のだと思っている。
きっとあの女性は画家の母親であり、この部屋に何点も飾られた彼女の作品が、彼女の魂の居所になっているのではないか、と。
(画家のアトリエ。
これを見た瞬間、「ここに予約してよかった!」と思った)
(アトリエの横には高床式倉庫。
ガリシアの高床式はアストゥリアスのものとは違って細長い)
(画家の家にはいたるところに作品がある。
キッチンやダイニングもおもちゃ箱のような空間。
わたしのぼんやりした「理想の家」が具現化されたかのようだった)
(画家の家を出た日に通った森には、謎の建造物が散在していた)
(遠近法で、チュ)
(たまに屋根部分の装飾が凝った高床式がある)