アーバンな町のふつうのバルで
そのアーバンな道を歩いていたとき、これは巡礼29日目のことであったが、その日1回目の休憩をとるため立ち止まったのはあまり特徴のないやや殺風景な、古くも新しくもない道路沿いの町であった。
たまたま開いていたバルに入り、カフェ・コン・レチェ(ミルク入りコーヒー)を飲みながら、チョリソとポテトの入ったオムレツのサンドイッチをむしゃむしゃ食っていた。
すると店のお兄さんが近づいてきて、
「カミーノ・デ・サンティアゴ?」
とわれわれに尋ねた。
巡礼者にはアメでもくれたりするのかなぁ、などと都合のよい期待をしつつ「シー(はい)」と答えると、お兄さんは奥の部屋に引っ込みそしてまた戻ってきた。
われわれの机に上に置かれたのは、木彫りの貝殻が2つ。
「これを持ってけ」とお兄さんの目は言っている。
カミーノでは、巡礼者は巡礼のシンボルであるホタテ貝をバックパックにつけて歩く。
しかし私たちはまだ、その貝を入手していなかった。
というのも貝には重いという欠点がある。
また以前はドネーション(寄付)により安く入手できた貝が、今は2ユーロやそれ以上で売られているのを見ると「500円払ってまでいいや……」という気持ちになる。
巡礼者としての敬虔さより生活者としての現実が勝った。
しかしやはり記念の貝は欲しかったので、売られている貝を見るたびに値段や大きさをチェックしていたのだったが、今目の前に置かれた木彫りの貝殻は本物の貝殻より小さくて軽く、そして巡礼者らしい絵柄も彫られていて、なかなかデザイン性もある。
500km歩いてやっと、わたしたちは素晴らしい貝殻を手に入れた。
しかもそれは何てことない町のふつうのバルでもらった厚意だった。
われわれはすぐに各々のカバンに木彫りの貝殻をとりつけ、お兄さんに見せてからバルを出てまた歩き出した。
とても気に入ったし、とても嬉しかった。
貝殻をつけるとやはり、巡礼者らしい気持ちになるものだ。
幸運は続く
その日21kmを歩いたところで、小さなスーパーやバルのある町にたどり着いた。
投宿予定の宿の近くには夕飯をとれる場所がないため、この町でバル休憩や買い出しをすませる必要がある。
というわけでスーパーで最低限の食糧を買い、そのあと集合住宅の中にある、この町で唯一開いていたバルに入ったのだった。
そのバルのテラス席では何人かの男たちが飲んでいる最中で、すでに出来上がっているようであった。
そしてその中の1人がわれわれの姿を認めると、
「ニイハオ」
と言った。
わたしはいきなり「ニイハオ」と声をかけられるといつも少しカチンとくる。
中国人にも韓国人にも親近感があるため、「中国? 韓国?」などときかれるのは別に嫌ではない。
しかしいきなりの「ニイハオ」は「この顔は中国人」と決めつけられたようで不愉快だ。
白人にもスペイン人やリトアニア人やニュージーランド人がいるのと同じで、アジアにだっていろんな国がある。
アジアの多様性を見くびるなよ。
夫なんてモンゴル人に「あなた本当にモンゴル人じゃないの?」と言われたくらいなんだぞ。
というわけで、酔っ払いにはあまり関わらないようひっそりとカフェ・コン・レチェをすすり、ついでに夕飯の足しに何かテイクアウトしようとカウンターに近づいた。
カウンターには何種類か酒のアテが並んでいた。
夫と何を買うか相談していると先ほどの酔っ払いがやってきて、
「これはチキンだ、これはイカだ、これはここのティピコ(名物)だ」
などと英語を交えて教えてくれる。
そしてさらに酔っ払いはこう言った。
「よし、これはグラティスだ」
グラティスとは何かわからずぽかんとしていると、酔っ払いはさらに言った。
「グラティスだ、フリーだ!」
なんと、おごってくれると言うのか。
しかし見知らぬ他人からいきなりおごってもらう理由もないので、われわれはイカとチキンを少量ずつ注文し金を払おうとしたが、店員も金を受け取らなかった。
もう、これはグラティスで確定したのだ。
夫とわたしは酔っ払いに何度も「グラシアス(スペイン語のありがとう)」と言い、さらにわたしは心の中で「シエシエ」と感謝を付け加え、アジアの多様性については別にどうでもよくなった。
それにしてもグラティス、何といい響きなのだろう。
「グラティス」はわたしの一番好きなスペイン語になった。
ペットがいたら「グラティス」と名付けたいくらいだ。
そうして道路沿いをさらに進んで宿に着き、シャワーや洗濯をすませ、夕飯を食べた。
スーパーで買ったサラダほうれん草にオリーブオイルと塩をぶっかけ、パン屋で買ったライ麦パンをちぎり、グラティスのイカやチキンとともに食べた。
豪華な食事ではないがおいしかった。
今日の道には特に印象的な景色があるわけではなかったが、親切にしてもらった日だった。
泊まった宿も特別美しくはないものの居心地は悪くなく、きっとこういう日を「いい日」と呼ぶのだろうな、と思いながら眠りについたのだった。
(立派なツノに目がいく)
(草の海におぼれているかのよう)
(スペインの民家の門にはよくこうした「猛犬注意」のタイルがあり、少しずつデザインが違うので見ていて楽しい)
(スペインは日が落ちるのが遅く、午後9時になってもまだ明るい。
やっと暗くなるともう寝る時間だ)
(アビレスという町には近未来的な建物がいくつかあった)