アーバンな道
オビエドでの休息を経てまた歩き始め、歩行距離が500kmを超えた。
夫はいつも通り牛を見ては
「モオォォォォォー」
羊を見ては
「メエェェェェェェ」
などと鳴き真似をしており、わたしが
「あんたもう40歳すぎとんのやで。
年相応の振る舞いしいよ……」
と苦言を呈するのを聞き流しながら、
「見てみ、ほら、声に反応して牛がこっち見とるで」
と喜んでいる。
そんなふうに(夫だけ)動物と会話しながらいくつも集落を過ぎ、丘を越え、前日オビエドのパン屋で購入したバゲットを食って、そのあとは道路をまっすぐ進んだ。
巡礼路は基本的に山や丘や海辺など景色のよい自然のなかを通っているが、町と町の間を車道のわきを通って歩くこともままある。
そうした「あまりカミーノらしくない道」を電車やバスで飛ばす巡礼者もいる。
たとえばサンタンデールのアルベルゲ(巡礼宿)では、インドネシア人とスペイン人のおじさん巡礼者コンビにこう誘われた。
「明日の道はあまり自然がないから電車でとばすんだ。
きっとアキハバラみたいだぞ。
君たちが敬虔な巡礼者で全て徒歩で行きたいというなら話は別だが、電車で一緒に行きたくなったら言いなさい」
わたしたちはむろん敬虔な巡礼者ではないものの、急ぐべき理由もない。
ケガがない限りはなるべく徒歩で行くことにしておじさんの誘いは断った。
そういえば別の町で出会った女性も、「このあたりはアーバン(都会)だから」という理由で電車を使いショートカットしていた。
実を言うとわたしはアーバンな景色がけっこう好きだ。
たまに家や公共施設に壁画があるし、何より道が平坦で歩きやすい。
都会といってもアキハバラなもんか。
通行人などほとんどいないじゃないか。
わたしは普段、自然を人間の思い通りに改変するような行いはいかがなものかと思っているが、山をいくつも上り下りした日には
いっそ谷の部分を全部埋め立てるか、山にトンネルをぶちあけて動く歩道を敷けばいいのに……
という人間中心主義に傾く。
そのようなわたしであるので、苦労して見る絶景よりも住宅地の壁画や高床式の倉庫といった、分相応な景色でよいのである。
アストゥリアスの高床式倉庫
と、書いていてハッと気づいたが高床式。
高床式の話をまだしていなかったとはなんたることか。
以前《フランス人の道》を歩いたとき、ガリシア地方ではよく長方形の高床式倉庫を見かけたが、ここ最近アストゥリアス地方を歩いていると、正方形(もしくはそれに近い長方形)の、ガリシアより大きめな高床式倉庫をよく見かける。
個人宅の庭など、家のそばに置かれた高床式倉庫。
大きさはまちまちであり、土台の素材も石だったりコンクリートだったりするが、基本的には4本の石の土台の上にネズミ返しがついていて、その上に家形の木の収納部分が乗っかっている。
カンタブリアとアストゥリアスの2州は《フランス人の道》には含まれていない。
そのためわたしは今回初めてアストゥリアス式の高床式倉庫を見たのかもしれないし、ただ単に8年前、20代のころは若さゆえに高床式の良さに気づかなかったのかもしれない。
とにかくアストゥリアスの高床式倉庫というのはわたしの琴線をビンビン弾きまくる存在である。
このようにスリランカのムーンストーン(寺院入口の敷石)やバリ島の花のお供え同様、わたしはアストゥリアスの高床式倉庫が非常に気に入ったのだが、それはおそらく以下の点を兼ね備えているからである。
・人が入って過ごせそうな大きさ
・小さな家のような素朴なかたち
・階段を使わなければ入れない特別感
つまりそれは秘密基地のようで、中に小さな本棚とランプ、簡易冷蔵庫などを設置したら居心地がよいのではないかと想像する。
わたしは将来、自分の家の庭にぜひ高床式倉庫を持ちたいと思う。
ここで読書したり晩酌したり、夫とケンカしたときには布団を運び込んで寝たりするのだ。
この高床式倉庫はわりあいに新しそうな住宅地にも点在しているので、アーバンな道も見応えがあるのである。
脱線したが後編へ。
(美しく手入れされた高床式倉庫)
(年代を感じさせる瓦と木の壁)
(杉玉のようなものが吊るされており、夫と酒蔵めぐりしたのを懐かしく思った)
(なんとかわいらしい、高床式倉庫と家の合体。
理想の家)
(ミニチュアの高床式。
巡礼路上の個人宅にこうしたものが設置されており、高床式がこの地域のアイコンとなっていることがわかる)