本当に春なのか
近ごろスペイン《北の道》は寒く、日が当たっていない場所ではちょっと震える。
わたしの手には生まれて初めてあかぎれができた。
本当に赤く切れている。
しかも一つ治ったら他の場所が切れており、洗濯物を絞るたびに「ウッ」となる。
スペインは春ではなかったのか、と思いながら歩き続けて巡礼14日目。
前日の雨が染み込んだ靴はまだじめじめとしていたが、ともかく出発し、ラレドの町の海辺をひたすら進む。
町のはずれ、ビーチに停泊しているボートに乗って対岸のサントーニャへ。
中心部にはおしゃれなカフェがあり、おしゃれさから遠ざかった自らのいでたちにやや気後れしつつ、カフェ・コン・レチェ(ミルク入りコーヒー)とトルティーヤ(スペイン風オムレツ)で休憩した。
その後道は2方向に分かれるがわれわれは距離が短いルートを選び、砂山を登って下り、広い広い広すぎるビーチに出た。
遠くに見えるノハの町までただただ歩く。
観光案内所で巡礼手帳にスタンプをもらい、ついでに無料の新聞を雨の日の靴の水吸い用に確保。
そしてさらに数キロ。
教会の横にある、今日のアルベルゲ(巡礼宿)に到着した。
わたしたちの未来
そのアルベルゲの主はやたら声のでっかいおじさんであり、夫と同じ髪型をしていた。
おじさんが話せるのはスペイン語のみ。
そのためおじさんは「少し待て」と言い残し、英語を含め数か国語を話せるという車いすの女性を連れてきた。
生活に介助が必要な状態なのは明らかだったが、女性は絞り出すようにして声を出し、巡礼者の登録をして宿の説明をした。
おじさんは「おっちゃん」と呼びたくなるようなコミカルなキャラクターをしているが、女性は「おばさん」と呼ぶにははばかられるほど品があった。
女性が頼りにされているのは語学力だけでなくその落ち着いた振る舞い自体なのだろうと、2人の様子から見て取れた。
宿のつくりはいかにも「公営のアルベルゲ」といった、ちょっと寒い歴史的な建物という感じ。
しかし掃除が行き届いていてシャワーも温水が出る。
不便のない空間であり、期待した以上の快適さだ。
夕食も栄養のありそうなスープ2種類とサラダで、あたたかみを感じる味だった。
翌朝、トーストを食べながらおじさんとカタコトのスペイン語で話をした。
病気を抱える人々とともに団体で巡礼を行ったこと。
おっちゃんと女性も巡礼路で出会って一緒になったこと。
女性とおっちゃんは正反対な性質に見えるが、彼らも「カミーノ・マジック」の一部なのだ。
宿のダイニングには女性がまだ自由に歩けたころ、馬と一緒に写っている写真があった。
その写真は、オーストラリアでラクダと一緒に旅をしたロビン・デイビッドソンと雰囲気が似ていた。
ロビンの本の話を何度もわたしから聞いた夫も「オーストラリアの人みたいやな」と言っていたので、同じ印象を受けたようだった。
宿を出て歩きながら夫と話した。
「なんか、印象深い宿やったな。
いい宿やったな」
わたしは彼女たちのことを忘れないが、それは「車いすの女性とその夫の美談」でもなく、「いずれ限界がくるという残酷な現実」でもなく、2人とも必死に1日1日を生き抜いている姿を見たからだろう。
と同時に、なぜかこの女性とおっちゃんの姿が自分たちの数十年後のように思えた(品がありすぎる、というところは別にして)。
あの女性は馬に乗ったり巡礼したり、巡礼路で出会った人と結婚してスペインに来たり、それはもうさんざんやりたいことをやったのだろう。
そして身体が不自由になってからもこうして巡礼者と関わり、外国語を話して、「旅」と接しながら生きている。
今わたしには幸いにも外国を歩き回れる足があるが、どんな形でも終わりはくる。
そうなってもなお「旅」と接し続けたいと思うのだとしたら、そのとき自由に歩ける旅人を見ていったい何を思うのだろう。
(ラレドからサントーニャへと渡るボート。
国旗が多国籍なカミーノを演出)
(スペインでは日本であまり見ない種類のサクラらしき花をよく見る)
(ノハへと続く長いビーチ)
(ビーチに点在する岩と水たまりが、なぜか月世界のようだと思った)
(アルベルゲの横の教会)