カミーノのレジェンド
巡礼11日目、われわれはレジェンドに会った。
予約したアルベルゲ(巡礼宿)のある町に予定より早く着き、バルで昼食をとりながら宿が開くのを待っているときだった。
男性がわれわれに近づいてバルの壁に貼られた横長のポスターを指差し、
「これは俺だ。
君らも、ブエン・カミーノ(よい道を)」
と言った。
ポスターにはカミーノを歩いた男性の行程が書かれており、よく見ると68歳のときに《フランス人の道》800km弱を10日間で歩いたという。
朝は3時台に宿を出て、夜6時過ぎまで歩く、1日80km近くの行程。
おそらく荷物は軽装備にしていたのだろうが、それにしても、1日にわれわれの4倍歩くとは……!
「レジェンド」と呼ぶにふさわしい偉業である。
翌日宿を出て数キロ歩き、カストロ・ウルディアレスという大きな町にさしかかったときである。
そこにはレジェンドの姿があった。
レジェンドもわれわれの姿を認め、「海のほうに来い」と言ってわれわれを導いた。
濃い色をした海にはヨットハーバーがあり、その先には特徴的な形の教会と城が見えた。
レジェンドとはそこで別れたが、2度も伝説の男と会ったという事実は、どんな教会やカテドラルに行くよりも御利益があるように感じられた。
オレンジケーキの宿
カストロ・ウルディアレスで教会をのぞいたりスーパーで買い出ししたりした後、残りの行程を歩く。
そして海のそばの小さなアルベルゲに到着。
ドミトリーにしては比較的高価だが、使いやすいキッチンや飾られたドライフラワーなどが気持ちを和ませる。
カウンター式の席の上にはおいしそうなパウンドケーキが置かれていて、なんと1ユーロ(約170円)。
宿の女性が作り、売り上げはアフリカの孤児の支援に使うのだという。
昼食を食べ損ねはらぺこのわれわれは、シャワーと洗濯をすませた後コーヒーを淹れケーキを食べた。
おばちゃんのオレンジケーキはおそろしくおいしかった。
しっとりしていて、オレンジの味と香りがちゃんと感じられて、何より手作りの味がした。
カフェラテともすごく合う。
おばちゃんから翌日のルートについて教わり、ついでにとりとめのない話をした。
わたしがスペイン語を勉強していることやわれわれがカミーノで出会ったことなどを知ると、おばちゃんは興奮しながら喜んでくれた。
そしてその夜おばちゃんが宿を出て自宅に帰る際、わたしに
「カミーノではまず、スペイン語で話しかけてみなさい。
そして通じないときに英語を使いなさい。
とにかく話し続けること。
あなたは上手に話せているから大丈夫」
とスペイン語で励まし、さらにこう続けた。
「あなたたちのことは忘れない。
カミーノ・マジック!」
わたしもこの宿のことは忘れないだろう。
あんなにおいしいケーキを焼けるなんて、おばちゃんこそ魔法使いである。
カミーノ・マジック。
8年前の《フランス人の道》で成立した日本人カップルは、実はわたしたちだけではない。
他にもおそらくたくさんのカップルが生まれていることだろう。
しかし「カミーノ・マジック」は巡礼の魔法や、ましてやカトリックの奇跡などでは絶対にないとわたしは思う。
次々に現れる身体の痛みと引き換えにしてもあまりある、この道を歩いた人間にしかわからない800km分の美しさ。
これを説明なしに理解してくれる相手など他にいない。
だからわたしたちは今も一緒にいるのである。
(カストロ・ウルディアレスの街並み)
(被昇天の聖マリア教会。
「これはもしや『フライングバットレス』というやつだろうか……?」と、横に飛び出た造りを見て興奮した。
教会建築についても知りたいことはたくさんある)
(途中、冬のまま時が止まったかのようなエリアがあった)
(そこを抜けると海、そして海辺にヤギの楽園。
生命の気配がワッと現れる)
(少し進むと黒羊の群れもいた)
(この2頭も「カミーノ・マジック」の一例かもしれない)