ある日のアルベルゲの夜【スペイン巡礼日記 #7】 | ハゲとめがねのランデヴー!!

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『深夜特急』にあこがれる妻(めがね)と、「肉食べたい」が口ぐせの夫(ハゲ)。
バックパックをかついで歩く、節約世界旅行の日常の記録。

 

青と黄色と黄緑の世界

 

巡礼10日目、わたしたちはポルトゥガレテを出てオントンを目指した。

イルンから始まった巡礼はバスクを抜け、とうとう次の州であるカンタブリアに入ったのだ。

 

ポルトゥガレテから道はふた手に分かれ、われわれは小さな町をいくつか通るほうを選び、別に何の変哲もないけれども家や建物にある壁画の写真を撮りながら歩きすすめた。

 

そして、不意に海に出る。

その海を見ながらバルでトルティーヤを食べ、遊歩道を通って先へ、先へ。

遊歩道のあたりは花々の黄色、植物の黄緑、海の青が、これまた青い空を背景にすがすがしく広がっていた。

 

気持ちのよい風。

海と空が視界を真っ二つに区切り、抽象画のような世界だった。

マーク・ロスコが青色を使ったらこんな感じだろうか。

 

海のそばを通る残りの数キロを最後は坂道をのぼって歩ききり、予約したアルベルゲ(巡礼宿)に着く。

巡礼手帳にハンコをもらい、2段ベッドに荷物を広げ、あとはシャワー、洗濯、といつもの流れである。

 

 

巡礼宿にて

 

予約した宿はドネーション(寄付)制であり、オーナー夫妻の気さくさや不便さをひっくるめて、アルベルゲらしいアルベルゲであった。

 

シャワーの湯はぬるく、トイレの数は限られており、シーツや暖房もない。

面倒だが寝袋をバックパックの底から引っ張り出す。

しかしそれでもこの絶望的な円安のなか、低予算で食事も出してもらえる宿は心の底からありがたい。

 

 

さて、われわれは洗濯物を干して1日のタスクを終え、夕飯までの間、リビングで次の行程の相談をしていた(相談といってもわたしが調査・提案し夫が追認するといういつものパターンだ)。

 

その日はドイツ人が多く泊まっているようだったが、その中の一人である中年女性が「日本語の響きがおもしろい」と言い、何かとわれわれに興味を示していた。

 

そして私が席をはずしているあいだに夫に話しかけたらしい。

乾いた洗濯物を回収しに外に出ていたわたしが戻ったとき、夫はわたしを指差してニヤニヤしながら、

 

「マイ・グーグル」

 

と言った。

 

ドイツ人女性は夫に英語で話しかけたものの、夫の反応が薄かったため「Googleで翻訳して」と言ったそうで、ちょうど戻ったわたしのことを夫は翻訳機扱いしたわけである。

ドイツ人女性は

 

「ああ、あなたは英語が話せるのね」

 

と言いながら、「マイ・グーグル」という表現が気に入ったらしく爆笑していた。

 

夫にとってわたしはGoogleであったのか……。

不愉快極まりない表現である。

 

その後夫に足をマッサージしてもらっているところをその女性に見られたので、わたしは夫を指差して

 

「マイ・マッサージマシン」

 

なのだと言ってやったが、夫にとってわたしはGoogleであったという不愉快さはおさまらず、通訳してやるモチベーションなどまったくなくなったのであった。

 

 

アルベルゲの夕ご飯

 

アルベルゲの夕飯はサラダと野菜パエリア、プリンであり、どれもおいしくパエリアは2回おかわりした。

 

こうしたアルベルゲでの夕飯は巡礼者みなで食卓を囲むことが多い。

同じテーブルには白髪の女性とおじさん3人組がおり、われわれ以外みなスペイン人であった。

 

多国籍な巡礼者同士の会話は英語で行われることが多い。

しかしスペイン人の彼らはおそらく英語が得意ではなく、こちらとしても2人で日本語の殻に閉じこもっていたほうが楽なので、最低限のコミュニケーションだけとってそれぞれのグループで会話をするという状態になった。

 

食事が進みデザートにさしかかったとき、スペイン人のおじさんの1人がわれわれに

 

「スペイン語はわかるか」

 

と聞いた。

 

わたしが

 

「ウン・ポキート(ほんのちょっとだけ)」

 

と答えると、おじさんは仲間の1人を指し、

 

「エステ・オンブレ・エス・ムイ・マル!」

 

と言った。

 

エステ オンブレ エス ムイ マル!

 

わたしがここ数年スペイン語を修得しようとNHKのラジオを聞いたりしていた理由の一つは、カミーノをもう一度歩くつもりでいたからだった。

 

今、簡単な単語と最低限の文法で構成されたスペイン語の文章が、わたしの脳内で完全に意味を成した。

 

エステ オンブレ エス ムイ マル!

 

この 男は とっても 悪い!

 

その後はその悪いおじさんの冗談を聞いたり、われわれがカミーノで出会ったことをスペイン語とボディーランゲージで話したり、おじさんたちの過去のカミーノの写真を見せてもらったりして、あたたかく楽しい時間だった。

 

別のテーブルでは英語で会話が繰り広げられていたが、わたしはスペイン語がよい。

済州の「オルレ」でなるべく韓国語を使おうとしたように、カミーノはスペイン語で歩きたい。

 

英語で難しい話をするよりスペイン語で単純な話をするほうが、語彙の少ない子どものような状態でいられて居心地がよいのである。

 

 

(ポルトゥガレテのランドマーク、赤い橋。

この町ではたくさんの住民が「ブエン・カミーノ(よい道を)!」と声をかけてくれたり、「アルベルゲはあっちだ」と道を教えてくれたりした。

 

海と工業と歴史を感じる町。

博物館も行ってみたかった)

 

(《北の道》は海の道であり、この標識もそれを物語っている)

 

(ネコに触りたがる夫)

 

(鮮やかな春)

 

(「カレンダーにできそうな木やな」と夫)

 

(海辺からポベニャの町に向かう遊歩道)

 

 

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