憧れのグッゲンハイム•ビルバオ
グッゲンハイム・ビルバオ、という名の美術館があると知ったときから、わたしは行きたい行きたい、どうしても行きたいと思い続けていた。
名前の響きがいい。
「グッゲンハイム」
「ビルバオ」
どちらのパーツもすごくいい。
なぜだかよくわからないけど魅力的だ。
そんなわけでわたしが今回のカミーノで《北の道》を選んだ大きな理由は、ビルバオを通るからということであった。
連泊して憧れのグッゲンハイム・ビルバオに行こう。
世界旅行においてそのことだけは固く心に決めていた。
グッゲンハイム・ビルバオはニューヨークのグッゲンハイム美術館の分館の一つであり、要はアメリカの財団が設立した近現代美術を扱う美術館である。
わたしは普段アメリカ的なものがあまり好きではないが、ニューヨークのグッゲンハイム美術館はとても楽しかった。
らせん構造の館内をぐるぐるまわりながらカンディンスキーやモンドリアンやモディリアニなどを見て、建築と絵画を一度に味わう楽しみを知ったのである。
ビルバオ滞在3日目、ついにわたしたちはグッゲンハイム・ビルバオにやってきた。
フランク・ゲーリーというカナダ生まれの建築家により設計されており、光の反射によって金にも銀にも見える。
何階建てなのか、展示室がどんな形をしているのか想像がつかない。
巡礼路の博物館や美術館では巡礼スタンプ帳用のハンコを押してもらえることが多いので、チケット売り場できいてみるとやはりあるという。
スタンプ帳に押されたハンコは美術館の外観がシンプルにデザインされている。
ああ、うれしい。
どのハンコもうれしいけれど、特にこのハンコは宝物である。
さて展示室内はどうだったかというと、アメリカのウォーホルやリキテンスタイン、バスキアもいたりしてさすがの収蔵品と思うだけではなく、この美術館のこの展示室だからこそできる作品、というものが多かった。
広々とした展示室いっぱいにインスタレーションを展示するとき、いったい画家はどれほどの幸福感を感じるのだろう。
展示作品は大型のものが中心で数としては多くはないが、一つ一つが建物と一体になってアートな空間を作り上げていた。
わたしが興奮している一方、夫は無表情のままであった。
そして
「現代アートかー……、苦手なやつや」
と言った。
夫はわたしの楽しみに対して気分を盛り下げるような発言をすることが多く、わたしは今回も思い出の価値を減じられたような気がして非常に嫌な気分になった。
夫は顔かたちが白玉に似ていてかわいらしいので伴侶として生活しているが、しかしグッゲンハイム・ビルバオに行きたい行きたいと数年間夢見てきたわたしの興奮にケチをつけるような発言にはもううんざりである。
つくづく一人で来たかったと思う。
しかしわたしの顔色をうかがってか夫も自分なりに楽しもうとしたらしく、最終的には一緒にあーだこーだ作品の解釈を好き勝手に試みながら見終わった。
おもしろい形の建物のなかに、わけのわからぬものがたくさんおいてある。
それはまるで遊園地のようであり、現代アートはテーマパークとして楽しんだらいいんじゃないかとわたしは思っている。
(これが美術館の外観)
(美術館の天井。
いい!
意味不明な構造物の集合)
(この鉄の中を迷路のようにぼーっとさまようのが楽しい。
そして自分がどんな形の中にいたのかを、上階から見下ろすのも楽しい)
(でかい、というだけでおもしろい)
(作品の一つにピノキオの水死体があり、その落下現場と思われる上階の手すりで夫は
「この高さやったらピノキオは乗り越えられんから他殺や」
と探偵ごっこを始めた。
わたしは身軽なピノキオなら乗り越えられるのではないか、他殺と断定するのは早急ではないかと思った)
(美術館前には犬の形をした作品があり、町の向こうに視線が向けられている)