バンコク最後の観光
アユタヤからバンコクに戻ったわれわれは、タイを出る前に2か所を観光した。
国立博物館とスアン•パッカード宮殿。
そのどちらも期待以上であり、国立博物館は半日ではすべてを見終わらなかった。
スアン•パッカード宮殿は古美術品が「ジム•トンプソンの家」以上の分量で、要領よくガイドしてもらえたのもありがたかった。
ここでの一番の収穫は「バーン•チアン」の土器を知ったこと。
幾何学模様がほどこされた黒いものと、肌色の地に赤で渦巻きなどの模様が描かれたものの2種類がある。
どちらも丸っこい形の土器に大胆な筆致の模様がついて、これまで見たことのないデザインだった。
タイはまたいずれゆっくり訪れて、今度はこの遺跡を中心に北部をまわってみたいと思う。
できれば暑さが和らいだ季節に。
バンコクを出る前にわれわれは荷物の重量削減を試みた。
わたしは読み終わっていないものも含め、手持ちの本をほとんど日本に送った。
唯一残したのは簡易版の西和辞書のみである。
ため込んでいた宿のアメニティのコンディショナーは使い切った。
化粧品のたぐいも、基本的なもの以外は買い足さないようにした。
夫もさすがに拾った石やトレーニング器具などは日本へ送る荷物に入れこみ、バンコクを出るときにはなるべく「旅の最低限のものだけ」という状態にした。
4月上旬、空路バンコクを出る。
機内食についてくる砂糖や塩など、その場で使わない調味料はいつもはもらって帰るのだが、1グラムでも荷を減らしたい今は我慢する。
北半球はそろそろ春。
春は巡礼の季節だ。
向かう先はスペイン。
わたしたちが出会った場所へもう一度。
そしてふたたび巡礼へ
「カミーノ・デ・サンティアゴ」
というのはスペインにある、中世から続くカトリックの巡礼路である。
今は宗教的な目的よりも、景色を楽しみながら長距離を歩くひとつのチャレンジとして目指す人も多い。
「カミーノ」というのはスペイン語で「道」を意味する。
ゴール地点のスペイン西部の町、サンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂に向かい、道はポルトガル、フランスなど複数の場所からのびている。
わたしたちは今回その道の一つ、《北の道》を行く。
8年前、この長い長い道を目指してそれぞれスペインにやってきたわれわれは《フランス人の道》を歩き切り、ゴール地点のサンティアゴ・デ・コンポステーラで出会った。
われわれにとって「カミーノ」は伴侶との出会いの道なのである。
カミーノをもう一度、今度はスタートからゴールまで2人で一緒に歩くというのは結婚前から決めていたことだった。
われわれは事実婚であり、結婚記念日というものがない。
そのためわたしは
「もう一度カミーノを歩いて、ゴールした日を記念日にしよう」
と夫に提案していた。
この旅を「遅い新婚旅行」と位置付けていたのは、このような理由からである。
しかし夫はその話をすっかり忘れ、バルめぐりをすることだけを考えているようだ。
8年前と比べわたしは体力を、夫は毛髪を失った。
もっと年上の人たちも歩いていたとはいえ以前のような身軽さはない。
しかし済州の「オルレ」をこの旅の最初に歩き、カミーノの体力作りも行った。
あとは運と体力の限り進むだけだ。
春のスペイン、800kmを西へ、西へ。
(牛、馬、ロバ、鶏、羊、ヤギを毎日飽きるほど見るのがカミーノの日常。
1週間もすると物珍しさもなくなるが、アルパカはあんまり見かけないのでうれしい)