アユタヤ、有名な仏像の頭部がある遺跡
と、いういきさつで博物館で見た黄金の遺物があった場所を見に行こうと、比較的観光しやすい場所にある2つの遺跡をめぐることにした。
この2つの寺院は隣り合っているので1日でまわろうと考えていたが、いざ行ってみると屋外にい続けたら熱中症でたおれそうであり、1日1遺跡という健康重視の観光プランに切り替えた。
まずはワット•マハータート、そして翌日にワット•ラーチャブーラナに出かけた。
アユタヤといえば、木の根に埋まった仏像の頭部が有名である。
それがあるのが「ワット•マハータート」。
そこにはやはり観光客が多数訪れており、かわるがわる木の幹に埋まった仏像の頭部の前に座って(仏像より上に立つなという規則のため座る)写真を撮っていた。
こうした「ここでこのようにして写真を撮りなさい」とわざわざフォトスポットとして用意してある場所で撮影中の人々を見ると、
「衆人環視のなか全力の決めポーズ。
そんな勇気、わたしにはない……」
といつも思ってしまう。
また、遺跡の写真に自分の姿はさほど写らなくてよいとわたしは思っている。
あとで写真を見返したとき、
15世紀にやってきた!
あ……でもわたしがいるから現代だ……
とガッカリするからである。
自分という見慣れた人間が入ることによって、遺跡の歴史感が損なわれる気がするのだ。
そんなひねくれた気持ちで木の根の仏像を眺めていたら、近くで夫が怪しい動きをしていた。
仏像ではない何かに向かって、真剣に写真を撮ろうとしている。
見てみると仏像の横に思いがけないアートがあるではないか。
木の根がレンガをつたって横方向にのびており、まるでキャンバスにこんもりした絵の具を垂らしたモダンアートのようである。
木の根の頭部のような有名な写真は検索すればたくさん出てくるため、「わざわざ暑い中出向かなくてもよかったのではないか」という冷めた気持ちになりかけていたが、やはり現場に出向く意味はあるのだ。
インドネシアで訪れたボロブドゥールはブロックを積み重ねた重厚感が際立っていたが、アユタヤの遺跡は薄くて細いレンガが上へ上へと続いており、ジェンガのような儚さがある。
東南アジアの寺院にもそれぞれやり方があるのだ、ということをわたしは新たな気づきとして楽しんでいたが、夫はそれより白黒模様のリスや地面をつつくオレンジ色の鳥、青いトカゲなどの珍しい動物たちに興味を示していた。
夫婦で一緒に旅していても、見ている風景はまったく異なるのであった。
翌日訪れた「ワット•ラーチャブーラナ」は、つくしのような形の仏塔の内部に入ることができる。
わたしはもしかしたらこのようなところで、博物館で見た黄金の宝物が発見されたのではないかと興奮していた。
一方夫はコウモリがたくさんいることに興奮していた。
やはり夫とは嗜好が合わないが、「暑いから遺跡はほどほどにしてカフェに行こう」というところは意見が一致した。
そうしてアユタヤ観光は怠惰に終わった。
アユタヤは黄金と遺跡とコーヒーとマンゴースイーツの町であり、バンコク近郊で盛りだくさんな観光ができて、非常に満足したのだった。
*ワット•マハータート*
(ツクシやアスパラガスのような造り)
(これが仏像の頭部の横のアート)
(この二つの勾玉(まがたま)を組み合わせたような形のモニュメントは、どんな意味と機能があるのだろう)
(夫が「雲もおんなじかたちしとるで」というので見上げてみると、たしかに仏塔のつくし型をしていた)
*ワット•ラーチャブーラナ*
(残された柱の跡から、かつての姿を脳内で復元してみる)
(この窓のあるところに登ることができる)
(つくしの中ほどにガルーダらしき像あり)
(これ! こういう装飾!
こういうのがたくさんあって非常によい)
(装飾がほどこされた段々が近くで見られるのがこの寺院のいいところ)