「自分探しの国」にて【後編】 | ハゲとめがねのランデヴー!!

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『深夜特急』にあこがれる妻(めがね)と、「肉食べたい」が口ぐせの夫(ハゲ)。
バックパックをかついで歩く、節約世界旅行の日常の記録。

 

オーストラリアの向かう先

 

 

 

オーストラリアはわたしにとって特別な国だ。

 

ワーホリに行こうと決めたとき、ビザが取りやすそうだという理由で選んだ国ではあった。

しかし当時わたしはどうせ行くならこの国を知り尽くしてやろうと思っていた。

 

今はもうそれは不可能だと知っているが、わたしは本気だったのだ。

生まれて初めて全力で何かに取り組んだ経験だった。

 

1年8か月を過ごし旅した国。

その歴史は知れば知るほどひどいものだったが、知ることの意義を教えてくれた国だ。

 

 

オーストラリアの歴史や問題についての多くは語学学校の先生がすすめてくれた本で知った。

わたしは今回先生の家を訪ね、話がその本に及んだとき先生にきいた。

 

「こうした歴史を知った以上、わたしは『オーストラリアはとってもいい国』とは口が裂けても言えません。

それでも自分の生徒に自国の歴史を知ってほしいと思いますか」

 

すると先生とその奥さんは即座に

 

「オフコース(もちろん)」

 

と言った。

 

先生はオーストラリア生まれの白人であり、広い家と高い学歴を持ち優秀な子どもたちもいる。

しかし先生は、自分の恵まれた環境が先祖による過去の収奪のうえに成り立っていることを知っている。

だからこそ学生にあえて自国の歴史を隠さず教えるのだろう。

 

(そのあと先生に「ところでフミオ•キシダはどうなんだ」と聞かれたが、わたしはわが国の現状を恥ずかしさのあまり隠したくなった。

先生はたまに痛いところをついてくる。

これだからインテリは面倒だ。)

 

 

わたしが初めてメルボルンを訪れたとき、オーストラリアでは同性婚が可能になった直後だった。

新聞には法律婚をした同性カップルの記事が載り、先生はこの立法に関して意見を書くよう語学学校の宿題に出した。

 

わたしはその宿題に取り組みながら、

 

「オーストラリアはなんて開かれた国なのだろう。

日本と全然違うじゃないか」

 

と思ったのだ。

その後この国の歴史を知っても、あのときの明るい変革のムードは忘れられない。

 

まだ何も知らなかったわたしが素直に抱いた期待。

その全てが嘘ではないのだと今も信じたい気持ちがある。

 

今オーストラリアは少なくとも建前上「白豪主義」から脱却し、人々はカラフルな「多文化共生社会」を新たなアイデンティティにしようとしている。

 

わたしはオーストラリアの「自分探し」の帰結が、差別や搾取のないほんものの共生であることを願う。

これからも疑いながら注視し続けたいと思う。

 

 

 

(メルボルンのフッツクレーにあった壁画。

今回メルボルンに着いた日、国会議事堂前でもパレスチナでの戦争に反対する集会が行われていた。

 

6年前のワーホリ中も、オーストラリア政府による難民への処遇、クルド人、LGBTQなどに関してデモが行われているのを頻繁に見た)

 

 

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