体力のない夫
夫が腸チフスから全快するまで、メルボルンで療養生活をしようと決めたわれわれである。
抗生物質を飲み始めてから数日経つと夫の熱は下がっていった。
そこでリハビリをかね宿から近くのアジアンスーパーなどに一緒に買い出しに行くと、夫は「ふらふらする」と言い出した。
10日間も高熱が続いたので仕方がないが、体力はまだまだ元通りからは程遠かった。
夫は旅に関して普段からわたしまかせであまり頼りにならない。
しかし身体能力が高く頑丈で、これまで体力的な心配は全くなかった。
だからこそ夫がハード、私がソフトの部分を担ってこれまで旅をしてきたのだ。
わが国のアニメ映画には「飛べない豚はただの豚」というセリフがあったような気がするが、今の夫に関していえば「力のないハゲはただのハゲ」。
宿の移動の際に共用の荷物はわたしが持つことにしたが、あまりの重さにめげそうになった。
とんだオーストラリア旅行になったものの、発症したのがメルボルンでよかった。
わたしはかつてワーキングホリデーでメルボルンの語学学校に通っていたためわずかではあるが土地勘があり、通りの名前や位置関係もなんとなく覚えがある。
病院で日本語のサポートが受けられたことや、オーストラリア人が移民や外国人に慣れているということもありがたかった。
メルボルンには縁があるのかもしれない。
当初は3日だけ立ち寄るつもりが、結果1か月近くまで滞在をのばしたのだった。
魔法のコーヒー
療養のために予約したアパートは中心部から北へ数キロ、ブランズウィックという地区にあった。
それはわたしが6年前、ワーホリ中に住んでいたシェアハウスのあるエリアだ。
医師から通院や再検査の必要はないと言われていたため、病院の近くに居続ける必要はない。
しかし夫を休ませるにはドミトリーではなく個室がよく、そもそも行動制限は特にないとはいえ、共用トイレを使うのはまだちょっとはばかられる。
そしてオーストラリアは外食費が恐ろしく高いため、自炊ができる宿がベストだ。
費用を抑えたいということもあって範囲を広げてキッチン付きの宿を探した結果、ブランズウィックの貸しアパートを見つけたので予約した。
本を読んだりブログを書いたりしながら、久々に「生活」をして過ごすことにしたのである。
ブランズウィックに移り、夫の体力は徐々に平常に戻り始めた。
近くのスーパーから始め、公園、カフェ、遠くのスーパーへと行動範囲を広げた。
ブランズウィックには目立った観光資源はないが、感じのいいカフェが住宅地の中に点在しているし、徒歩圏内には店が集まるシドニーロードという通りがある。
かつて5か月住んだ地区。
シドニーロードの本屋、古本屋、図書館、古着屋、格安スーパーには何度行ったことか。
見覚えのある壁画や店を見ながら歩くうち、懐かしさがこみあげてきて胸が熱くなった。
ブランズウィック滞在中、われわれは散歩の目的地もかねてカフェめぐりをすることにした。
メルボルンはコーヒーの町。
「ロングブラック」「フラットホワイト」など日本とは違うコーヒーの呼称や淹れ方がある。
そして今回コーヒーのメニューを見ると、見慣れないものがあった。
その名も「MAGIC」。
これは以前はなかった。
調べてみると近年開発された淹れ方で、エスプレッソよりも少ない水の量で抽出したコーヒーにミルクを足したものだという。
たいへん気になるので注文してみる。
非常に、おいしい。
なんじゃこりゃ。
ラテやフラット・ホワイトと比べて濃いが、苦いわけではない。
豆の味がしっかりと感じられる。
今までに飲んだミルク系のコーヒーの淹れ方で一番好きである。
観光地には行けなかったものの、思いがけずメルボルンの新しい味を知ることができた。
このコーヒーに出会えたことはわたしにとって大きな収穫だ。
その後わたしと夫はカフェに行くたびに「MAGIC」を注文し、それはたしかに魔法のようにおいしいコーヒーなのであった。
(ブランズウィックにあるSMALL AXEというカフェ。
「MAGIC」を注文すると店のお姉さんが「ゴージャス!」とひとこと。
ワーホリ時代、通りかかるたびにいつも入ってみたいと思っていた店)
(宿からシドニーロード方面へ向かう途中、THE NICHOLSON COFFEE AND EATERYの「MAGIC」。
泡がしっとりしていて納豆の味(発酵味のある、夫とわたしの好きな味)がする。
休日の朝、コーヒーを楽しむ人でほぼ満席。
ラテアートもかわいい)
(シドニーロードのMARKET LANE COFFEE。
奮発してシングルオリジンのプアオーバー。
グアテマラとコロンビア、どちらも酸味のあるまろやかな味。
懐かしいオーストラリアの味だった)
夫のインスタ⇩ 夫はインスタをわたしの悪口を書く場にしようと決めたようだ。