先生の家で
メルボルンに着いた日の夜、夫と一緒に先生の家を訪ねた。
予想していたより広い家に恐縮しつつ、庭の植物や室内に飾られた絵を見せてもらい、豪華な夕飯とお酒もごちそうになった。
先生とその奥さんは、いち生徒に対する以上のもてなしをしてくれた。
話が息子の結婚式に及ぶと、先生は
「前に日本人の学生が日本では結婚式に職場のボスを呼ばなくてはならず、そこで長々と会社の話をすると言っていた。
オーストラリアではそんなことは決してしない。
親しい間柄の人だけを呼んでパーティーをするんだ」
と言った。
先生は、日本は個人より集団を重視する文化だと認識している。
現在徐々に変わってきていると感じるものの、他の文化のフィルターを通すと「イヤだけどそういうもの」と思っていた自文化の慣習の特異さが浮き彫りになる。
さて、先生は気さくでオープンマインドで柔軟な考え方を持つ人であるが、一方インテリ特有の頑固さやめんどくささも垣間見えたため、どのような人が配偶者なのだろうと思っていた。
実際に会ってみると奥さんもフレンドリーだが自分の考えがしっかりあるタイプで、つまりめんどうなインテリ夫婦で面白い。
夫婦とは似るものだ。
いや、話を聞くうちに奥さんのほうがむしろ、先生の考え方に影響を与えているのかもしれないと感じた。
語学学校時代、わたしはオーストラリアの歴史に関する本をセールで見つけ、「安いから」という理由で買って読んでいた。
そこに書かれている内容を見てやや偏っていると感じた先生は
「わたしの妻が勧めているんだが、こういう歴史の本がある。
一度それを読んでみたらどうか」
と言って、Henry Reynolds という歴史家の本を勧めてくれた。
この人の本をワーホリ中にわたしは読み続けた。
「人生を変える本」というテーマであればわたしは沢木耕太郎の『深夜特急』をまっさきに挙げるが、「ものの見方を変える本」であればこの歴史家の著作が筆頭かもしれない。
イギリスからの入植者による先住民アボリジナルの虐殺、オーストラリアは「無主の土地」であったかという問い、アボリジナルの土地権について。
侵略や植民、先住民への差別など、世界のいたるところにある問題が、オーストラリアのこの本を通すとクリアに見えてくるのだ。
わたしは先生の奥さんにかつてこの本を教えてくれた礼を述べ、そして話がオーストラリアの歴史に移ると、先生と奥さんは夫とわたしそっちのけで熱く語り出した。
たとえば20世紀後半になるまで、オーストラリア政府はアボリジナルの人々を人口統計に入れていなかった。
そのことに対し先生と奥さんは、
「つまり彼らは人間として扱われていなかったんだ」
と憤慨していた。
その2人の様子を見て、この夫婦は相互に影響しあってこのようにずっと一緒にいるのだろうと思った。
外国人と関わり、庭を愛し、本を読み、語り合う日々。
先生はやはりわたしにとって先生なのだった。
しかしそれは単なる英語教師ではなく、それ以上のなにかをくれた人であり、そんな教師に出会ったのは生まれて初めてだった。
語学学校を離れた今でも、わたしは勝手に先生の生徒でい続けている。
後編に続く。
(今回メルボルンで買ったHenry Reynoldsの本。
2017年の先住民による「ウルル声明」に関する情報がほしくて購入)