わたしの先生
今回の世界旅行でメルボルンを組み込んだのは、語学学校の先生を訪ねるためだった。
わたしはかつてワーキングホリデーでメルボルンを訪れ、当初は2週間だけ語学学校を予約していたが、その先生の授業を受け続けるため上限いっぱいまで滞在をのばした。
先生はわたしの親世代の白人男性であり、英語教師になる前に何度もキャリアを変えていた。
インドネシアやミャンマーに住んでいたことがあり、アジアの言語をいくつか話す。
その中には日本語も含まれている。
日本語と英語では文法的な考え方を大きく変えなくてはならない。
そのことを理解しているため、クラスで一番英語が話せないわたしを見下すこともなかった。
中高年の白人男性にありがち(というのもわたしの偏見か)な、レイシズムやミソジニーとは対極にある人だった(*)。
授業の中で先生はオーストラリアの社会問題を積極的に授業に取り入れ、政治や経済、歴史の話をすることをいとわなかった。
話題も豊富だった。
わたしが読書が趣味だと知ると、
「ジェーン・オースティンの本を読んだことがある?
その中でこの単語は、主人公の容貌を説明するのに使われている」
などと、自由自在に例を挙げて説明してくれた。
また、先生からメルボルンの新聞を定期的にもらい、気になる記事を読んで質問するのがわたしの習慣になった。
オーストラリアの移民や難民の扱いについてもこのとき初めて知った(当時オーストラリアでは難民をナウル島に送り、劣悪な環境のもと生活させていたことが大きく報道されていた)。
クラスの生徒はみな英語が流暢で、予習と復習なしには何を話しているのかまったくわからない。
30歳を目前に、わたしは久々に必死で勉強せざるをえず、楽しさよりもハードさが勝る日々だった。
つい数年前までわたしは大胆不敵にも「行こうと思えば世界の果てでもすぐに行ける」と信じていたが、コロナによる半鎖国状態によって、そうではないのだと思い知った。
年齢的にも、チャンスを逃すともう2度と会えない可能性もある。
わたしはどうしてももう一度、この先生に会いたかったのである。
中編に続く。
(* これらの言葉の意味を具体的に知ったのはオーストラリアでのことだった。
レイシズム(人種差別)は先住民や移民に対しての具体例がオーストラリアにはたくさんある。
この国は決して歴史的に「移民や他文化に優しい国」ではない。
ミソジニー(女性嫌悪)に関しては、「オーストラリアで唯一の女性首相ジュリア・ギラードはどうでしたか」というわたしの質問に対し、先生はやや苦い顔をして「ミソジニー・スピーチ」というものがあると教えてくれた。
これは彼女が野党党首の差別的なふるまいにブチギレた演説であり、彼女には政治的な失敗もあったのかもしれないが、政策とは全く関係のないところで足を引っ張る人間もいたということであろう。
わたしがオーストラリアにいる間、日本の医学部入試における差別が明るみに出た。
自分がミソジニーの国に生まれたことの悔しさが、この演説の内容に重なった。)
(フッツクレーの宿から見たメルボルンの眺め。
気球と朝日、夕刻、そして夜景。
メルボルンは町の中心部にビルがまとまって立っている)