バリのお供えは花の弁当箱
ウブド滞在中、わたしは常に視線を下に落とし、まだ見たことがないタイプのお供えがないか探していた。そして
「おっ、このお供えは飲み物つきだ」
「同じお供えが3つ横並びでリッチ」
「線香の置き方が優雅」
などと一人つぶやいては悦にいっていた。
そのお供えの魅力とはなんだろうか。
正方形か花形に植物を編んだ容器や花の種類など、一定の決まった形式や統一感がある一方、思い思いの何かを詰めるオリジナリティの余地もある。
それはまさしく花の弁当箱のようであるが、詰め込まれているのは花や菓子だけではない。
この地域の生活の仕方や神々への接し方、世界観のようなものが、ここに現れているような気がするのである。
日本でも家庭によっては神棚にご飯を供えて手を合わせる習慣があるが、それは家庭内で、自分とつながりのある家族や先祖に対して行われている。
しかしバリの場合、家だけでなく道や公共の場所にも花が置かれ、祈りがソトにも開かれている。
その点がわたしにとって自文化とは違う物珍しさを感じさせるのではないか。
お供えのある場所がまるで異文化への通用口であるような感覚を引き起こすのであった。
(生花の良さからドライフラワーの美しさへと変わっていく途中)
(供えることが目的であり、そのあとはあまり構われないよう)
(器の色も変わってゆく)
(朽ち方がパーフェクト、に見えるのはわたしだけだろうか)
(カラフルに枯れてゆく、小さな迫力)
(役目を終えて)
(バイクの上にもお供え)
(ご飯タイプは慎ましさを感じる)
(素敵な前髪ができて嬉しそうだ)
インドネシア編はここでおわり。