夫の尿
夫が病院に一泊することになり、通訳さんとわたしで夫に「携帯電話の充電器を貸してください」「喉が渇いた」「ワイフが後で来ます」など必要になりそうな表現を英語でどう言うかを教えつつ、病室が決まるのを待った。
その間夫は頻繁に尿意をもよおした。
何時間も水を飲んでいなかったが、おそらく点滴のためと思われる。
夫は感染症の可能性があるため、共用のトイレを使うことは許されなかった。
看護師に尿瓶を持ってきてもらったが、それは予想と異なりいかにも「エコな再生紙」といった素材の茶色い紙製のものであった。
この期に及んで夫はぐずぐずとためらいだした。
「え〜、ここでするん? え〜」
「女は毎月血ぃ垂れ流しやで、おしっこくらいはよやりよ」
といった会話をしつつ夫をなだめ、夫もやっと観念して尿瓶を手にした。
わたしに誰か来ないか見張りをさせたうえで、もそもそと行動に移した。
わたしが仕切りカーテンを握りながら待っている背後で、
ジャーーーー……
という威勢のよい音がする。
新婚旅行に来たはずが、もう新婚のムードなど微塵も感じられないとつくづく思った。
そしてさらに夫は自分の尿のあまりの量に驚き、
「見てみ」
と言ってソレを見せてきたのだ。
エコな尿瓶の中に並々と注がれた、泡だった黄色い液体。
それは生ぬるいビールそのものであり、今後ジョッキでビール飲む際にはこのときの光景を思い出すに違いない。
夫はあと2度ほど泡だった尿を出し、もう抵抗感も恥じらいもなくなったようであった。
そんなこんなで日付けが変わり夜も深くなったが、病室に移動できる気配がない。
ずっと付いていてくれた通訳さんは、翌日の手配をしたうえで帰宅。
わたしは夫の横でイスに座って待ち続けたが、その状況を見かねた看護師が
「よかったら、ベッドを持ってきてあげる。
あなたもとても疲れているように見えるから」
と言って、わたし用にベッドを持ってきてくれた。
夫はまたひどい悪寒が出てきてぶるぶる震え始めたが、しばらくするとおさまったようだった。
わたしはいつのまにか寝てしまい、それは久々の深い眠りであった。
ハゲの連携プレー
翌日夫に声をかけられ目を覚ますと、すでに通訳さんも来てくれていた。
結局病室は決まらず、救急外来の処置室で一泊したのだ。
夫に朝食が運ばれ、看護師の女性はわたしにもコーヒーをくれた。
その気づかいが本当にうれしかったのでわたしは何度もお礼を言い、彼女は「No worries.(心配するな、大丈夫)」と答えた。
オーストラリア人はこの言葉を頻繁に使うが、このときほどありがたく感じたことはなかった。
そしてついに感染症の専門医が診察に来た。
ひと通りの説明をまた最初から繰り返し、やはりこの専門医も「デング熱などの蚊を媒体とした病気ではないか」という見解だった。
検査結果が出るまで病名ははっきりしないが、現状夫に命の危険はないという。
退院してホテルに帰り、検査結果はメールで受け取るということになった。
診察が終わると、夫はのんきにこうつぶやいた。
「みんな坊主やなあ。
ハゲの連携プレーやな」
日本人スタッフ常駐のクリニックでは、最後に診察した医師はスキンヘッドだった。
そして移った先の感染症のスペシャリストもスキンヘッド。
夫はハゲを信頼しているようだった。
わたしもハゲのハゲによるハゲのための診療なので、きっと快方に向かうだろうと信じることにした。
病院を出るまで支えてくれた通訳さんと別れ、また夫と2人になってホテルの部屋へ帰った。
翌日医師からメールが届く。
予定より早く検査結果が出たらしく、夫はデング熱などではなく腸チフスであるとわかった。
食べ物が由来する病気。
インドネシアの何かがあたったのであろう。
原因がわかったので、今度こそ適切な薬が飲める。
医師が処方箋を送っておいたというドラッグストアまで急いで抗生物質を取りに行き、夫に飲ませる。
あとは薬が効くのを待つのみだ。
がんばれ夫。
④へ。
(NGV(ビクトリア国立美術館)、Wintjiya Napaltjarri作。
座った女性や地中の食べ物を採るための棒などが、ヒエログリフのように描かれている。
白地に赤のみ。
アボリジナルアートのデザイン性にまた驚かされた)