カルトの国 | QVOD TIBI HOC ALTERI

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„Was du dir wünschst, das tu dem andern“.

 最近、カルト宗教の信徒管理システムを企業経営に転用したといわれているワタミの経営者の件を耳にし、マスメディアの情報操作によって右往左往させられているこの国の人々を目にするにつけ、この国は狂信という精神構造によって支えられているのではないか、と思うようになっている。要するに、日本はいわば、「カルトの国」ではなかろうか。

 フクシマで原発三基が爆発し、少なく見積もっても広島型原爆の168倍もの放射性物質が撒き散らされ、今なお収束の見通しもたたず、国土の安全と国民の健康が危機に晒され続けているというのに、「放射能は安全」「原発事故で死んだ人はいない」「原発事故の健康への影響はない」と連呼する政府・マスメディアと、そのプロパガンダを鵜呑みにするか、あるいは、おかしいと思いつつも見て見ぬ振りをする人々。放射能汚染地域に子供が住まわされ、汚染された農水産物が公然・非公然と市場に出回り、それについて特に不自然に思わないか、変だと思いつつも、やはり知らぬ振りをする人々。これがこの国の有様である。要するに、「終わっている」のである。

 このような、現実を直視しない現象は、先の大戦末期にもこの国で見られたという。厳格な報道統制はあったにせよ、極端な物資の不足や、毎日のように来襲するB29の大編隊と、それによる壊滅的被害に直面して、冷静に考えれば、あるいは、現実を直視すれば、明らかに日本は負けており、負ける戦争であったにもかかわらず、ごく少数の「変わり者」を除き、ほとんどの国民は、上から下まで、「神国日本は最後は必ず勝つ」という馬鹿げたスローガンを信じ込んでいたという。 これは私見では、情報操作・洗脳というより、狂信といってよいレベルである。この国は、狂信者の国といってよいかもしれない。自爆テロを繰り返す、イスラム原理主義者を笑うことは出来ないのではなかろうか。

 そして、このような狂信の社会精神構造は、フクシマの例を持ち出すまでもなく、消え去ったどころか、今なお健在であるように見える。この国では、権威を背景とした狂信・盲信の構造は、ありとあらゆる領域で、指摘することが出来る。良識や理性、それどころか、事実でさえ、 この国には存在しない。あるのは、為政者が恣意的に作り出したドグマと、それに対する狂信だけである。極端な話し、原発が爆発し、政府が嘘ばかり垂れ流した後でも、「原発は爆発しない」「政府は常に正しい」等のドグマを信じればお咎めなし、もし信じられないならば、有形・無形の様々な不利益がその人にもたらされる。これが「狂信の国」日本の実体ではなかろうか。つまり、この国は、実は、カルト宗教とほとんど同じ社会精神構造を有しているのではないのか。私はそう思う。

 そして、先の大戦がはっきりと示唆するように、狂信の行き着く先は、破滅である。 うろ覚えではあるが、確か戦前、ナチスドイツの指導者の一人が、日本の国情を視察に来て、日本人ほど、国民社会主義(ナチズム)に向いている民族はいないと嘆息したらしいが、恐ろしい話であると同時に、真相を突いていると思う。上意下達("Führer Befiehlt, wir folgen!")が徹底し、為政者の言うことならば、何の反抗もせず黙々と従う畜群のごとき民ー日本人は、全体主義的支配にとって最も理想的な人種なのであろう。