仮想生活 | QVOD TIBI HOC ALTERI

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 この国は、不思議な国である。新聞やテレビ等で「景気が良くなった」「明るい未来が待っている」と連呼されれば、いくら給料が下げられても、いくら物価が上がっても、いくら倒産件数が上昇しても、総じて、いくら現実的には暮し向きが悪くなっても、「景気が良くなった」と思い込む人々が多数を占めているように見えるからである。彼らは、目の前の事実や自分自身の実感よりも、新聞記事やテレビ報道の方が信頼に足ると思い込んでいるように見える。換言すれば、この国の人々は、その多くが、マスメディアが提供する仮想現実に暮らしており、現実を見ることが出来ないように見える。

 このような現象は、何も今に始まったことではない。かつてこの国では、空をB29の大群が覆い、東京や大阪・名古屋といった主要都市が焼夷弾等によって焼け野原にされた状況においても、大部分の国民は、この国が最終的には勝利すると確信していたという。まさに、事実が見えない、盲目の民という言葉が、この国の民には相応しいのではなかろうか。他人の言葉、特に権威を背景にした言論を盲信し、自分の都合のいいことしか見ない・信じないという独り善がり的・幼児的な国民性は、戦中戦後を通じて、最近ではフクシマの事例で顕著であったように、今日に至るまで、継続している、私にはそう思える。

 「新聞やテレビ等のマスメディアは、公正かつ客観的な情報を国民に伝えることにより、権力を監視する組織である」という驚くべきウソがある。これは、本当に真っ黒なジョークである。事実は、こうである:「新聞やテレビ等のマスメディアは、スポンサーに都合の良い情報を不特定多数に伝えることにより、情報の受け手を操作し洗脳するシステムである」。あるいは、「新聞やテレビ等のマスメディアは、権力者の要請に基づき、権力者の意志を実現させるために、国民に対し、宣伝と洗脳を行うインスティテューションである」。綿密に計算され選択され歪曲されたニュースや世論調査等、様々な操作手段によって、我々の思考は日々、操作・洗脳され、弄ばれている。

 要するに、我々の思考空間は、ウソによって雁字搦めにされているのである。その目的は、為政者による情報統制によるトータルな支配である。暴力による支配は、経済的ではない。最先端の行動科学の研究成果を援用しつつ、各種テクノロジーを駆使した情報による支配こそが、我々の生きるポスト「1984」の全体主義社会に相応しいのである。ウソは、新聞・テレビ等のマスメディアだけでなく、学校教育をも含めた、あらゆる情報提供システムによっても計画的・組織的・体系的に撒き散らされている。我々の観念世界は、そうした悪意の情報提供者によって、恣意的に操作され、歪められ、そして何の人間的配慮もなく、「無慈悲に」支配されているのである。

 しかし、彼らが恣意的に操作できるのは、あくまで言語を媒介とした観念領域に過ぎない。現実は、彼らにも、どうすることも出来ないのである。カラスは白いと言い続けても、カラスが決して白くならないように、ウソは百回言ってもウソなのである。したがって、我々が彼らの支配から逃れる最も確実にして最も容易な方法は、言語に左右される観念中心の生活から、自分自身の感覚に基づく現実中心の生活へ、移行すればよいだけである。そのためには、自分の体験や実感-つまり、自分自身-に絶対の信頼を置く必要がある。

 自分の経験とそれに基づく見解こそが、第一義的な情報であって、それ以外-著名な書籍であろうが、高名な人物であろうが、他人の言うこと-は、あくまで参考程度の価値しかないのである。自分の率直な思いや実感を捨てて、他人の言い分を鵜呑みにするという態度こそが、すべての問題の根源なのである。しかし今や、何を言っても無駄であろう。この国では、もはやほとんどの人間が、自分自身に誠実であることを放棄し、あやふやで無責任な仮想生活に明け暮れており、現実に生きていないのだから。