知是妄覚 | QVOD TIBI HOC ALTERI

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 「道は知にも属せず不知にも属せず。知は是れ妄覚、不知は是れ無記。」(『無門関』第十九則「平常是道」より)
 
 「平常心是道」で有名な南泉和尚の言葉である。事実は知識でも無知でもない。なぜならば、知識は嘘であり、かといって無知ではお話にならない、というのである。人が崇め奉る知識とは、概念である以上、畢竟虚構に過ぎず、事実とは異なる、というのである。いずれにせよ、知こそ最高のものであると思い込んでいた私にとって、この言葉はあまりに衝撃的であり、それまでの私の人生観を一瞬にして破壊してしまったほどである。
 
 「知りたいと思うこと、知識欲も、欲であり、究極の立場からは悪であり、捨て去るべきものである」。これと似たような言葉を、タイのブッダダーサ比丘が述べていたような記憶がある。これも、上述の「知は是れ妄覚」と同様に、知識こそ最高最善のものとして捉えていた私には、衝撃的な言葉であった。
 
 さて、今日、主知主義が全世界を覆い尽くしてしまった感がある。ここでいう「主知主義」とは、知性第一主義(つまり、人間の最高の特性を知性に求め、知性の優秀性こそがその人自体の価値を決定するという考え方)である。簡単に言えば、いわゆる頭のよい人間は頭の悪い人間よりも価値があり、前者が後者を支配するのは当然である、という思想である。日本をはじめ現代社会は、この主知主義によって支配されているといっても過言ではなかろう。
 
 しかしながら、いわゆる「頭がよい」とされる人間は、本当の意味で優れているのであろうか?世間的に頭がよいとされる(事象の概念化とその関係性の構築が得意な)人々は、実際には愚者なのではないのか、不遜にも私にはそう思える。その根拠の一つは、知性第一主義の行きつく先は、結局は詐欺と強盗であり、最終的には破壊と殺戮とをもたらすだけなのでは、と妄想するからである。
 
 どうして主知主義が破壊と殺戮に行き着くのか?その理由は、ビル・ゲイツやウォーレン・バフェットといった英米の著名な経済エリートを見ていれば分かるが、主知主義者の最大の関心事は、要するに、「いかにして楽して儲けるか」、である。そして、最も効率的に稼ぐには、自ら額に汗して働くのではなく、他人の財物を横取りするという行為が最適解として導き出されるからである。そして、他人の財物を横取りするには、騙すか、強奪するしかない。前者の典型例が、様々な投機行為であり、後者の典型が、戦争であろう。その結果は、混乱と破壊、そして殺戮である。極論ではあるが、これが主知主義の行き着く先ではないのか。
 
 何故、そうなるのか?主知主義にはいわば自壊装置が内包されているからである。それは、人間の知性は全く不完全であるにも関わらず、完全であると勘違いすることに起因する。換言すれば、人間の思考(知識や観念)と現実は、全くの別物である。しかし、人が主知主義的な知性万能思考に陥ると、このことがわからなくなる。つまり、人間の知識や観念を事実そのものと勘違いすることで、現実との乖離が生じる。その結果、知は狂気に至り、最終的に破滅することになる、私はそう思う。
 
 思考が現実を支配できるはずもないのである。人知が自然(神)の叡智を超えるわけがないのである。また、生身の人間を単なる観念知識が支配できるわけがないのである。こうしたことがわかっていないと、主知主義に侵された人類は、かつてのドイツ第三帝国や大日本帝国と同様に、最終的には錯誤と狂気の果てに自滅せざるを得なくなるのではないのか。
 
 「おのが知恵を以っておのが身を苦しむるという事を知らぬも、いとあさまし。」(至道無難)