朝っぱらから泣きそうな気持になって… | 波動的しあわせ生活ブログ

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みなさん、こんにちは。

 

今朝自宅を出る直前に、TVのニュースワイド番組のなかで放映されていたあるトピックを観て、泣きそうな気持になりました。

 

そのニュースというのは…。

こちらです。

 

やせ細ったマレーグマを展示、インドネシア動物園に怒りの声

 

生まれて初めて動物園の大きなクマのアバラが浮き出ている姿を映像で観ました。そのかわいそうな姿を観て、エサを欲しがるクマさんの姿からほとばしる飢えと悲しみ、救済への思いのエネルギーを感じたのか、涙目に。

 

一方で、厳しい自然環境のなかでは、野生においてこのような姿にならざるを得ない動物たちは、自分が想像するよりもはるかに多く存在しているでしょう。その厳しさの中を自分の力だけで生き抜かなくてはならない命たちに比べて、なんて自分は幸せなのだろうと思います。

 

問題だと思われるのは、それが、人間が管理する動物園の中で起こった、というところです。そのような動物園がその国ではたくさんあるそうで、ちょっと日本では考えられないことです。動物園側にも言い分があるようですが…。どうでしょう。

 

そうなってしまう原因には、私たちにはあずかりしれない事情がいろいろとあるのかもしれません。動物園の財政事情をはじめ、その地域、ひいてはその国自体の経済的背景など。大人の事情って、ものが。ですが、原因があるとしても、おそらく根本的なものではなく、さらに問題に対して何の具体的な対策がとられていないように見受けられ、世界のメディアでも大きな話題となっています。

 

一方、人間の世界でもアフリカなどでは、人間自体が同じような飢餓状態になっている現実があります。真実と現実を華やかな幻想で覆い隠した先進国に住まう私は、日常の中で日々の忙しさなどにかまけて、結局はエゴイスティックな範疇で物事のほとんどを捉えているのが正直なところだと思わざるを得ません。その現実を知識としてしか知りません。心の底から、肚の中から理解できていません。

 

このマレーグマの問題は、その動物園、その国の中だけの問題ではなく、人間がこの世界をどのように捉え、どのように制限された思考で考え、どのように生きているかを突きつけてくるような問題のように、個人的には思いました。

 

根本的「あり方」が、マトリックスのようにフラクタルに(相似形で)状況を生み出していて、その中から創造された問題だとされることは、一人ひとりの意識のあり方から社会のあり方へ広がり、世界へ広がり、宇宙につながるといった、ラセン状に広がっていくものなのではないでしょうか。ホログラムのような要素を内包しながら。その根本を観ようとしない限り、問題は姿を変えるだけ。人生のあり方とまったく同じです。

 

マレーグマに必要な食べ物を食べさせてあげて「良かった、よかった、良いことをした」で終わらせたとしたら、また、かわいそうだから…という理由だけで対処するだけだとしたら、問題提起もそこまでだとしたら、「それで終わり?」何か足りないのではないかと考えてしまいます。(もちろん、あのクマさんには健康な状態になってもらいたいです。映像を今思い出すだけでも涙が出そうになります。トシですね)

 

要は、世界のいたるところで、同根の問題がたくさん存在していることを理解することであり、まず気づくことなのではないかなと思われます。そして、それは私たち一人ひとりのあり方そのものにダイレクトでつながっています。普段は気づいていないだけで。それに対して、根本的な解決を志向しなければ、雨後の筍のように、姿を変えて同じような問題がイタチごっこの無限ループに陥ってしまうと思われます。というか、現実的には既にそうなっているのかもしれません。

 

その中で生まれた沢山の問題から、メディアなどに採り上げられる、ごく一部の事象に関して世論は反応し、ほとんどが時間の経過にしたがい風化していくという繰り返し…。わが国では、「森のくまさん」の話題が問題になっているようですが、たわいないものに思えてしまいます。法的な権利の「社会性のある」問題等々ありますが、結局は「利権保守」「欲」の範疇を出ないもので、「生命、存在」の問題までいっていないからです。

 

今は森の「くまさん」よりも動物園の「くまさん」の方が気になります。自分で書いておきながら、このフレーズ、逆説的に皮肉っぽくあり、文章中の「くまさん」を「わたし」もしくは「人類」に置き換えても何か感じるものがあります。気づいていないだけで、本当は自分が実は檻の中にいるのでは、などと。

 

つまりは、マレーグマさんの問題一つにしても、問題を起こしているのは人間様。もっといってしまえば、この「わたし」(「あなた」でもあります)。ですので、この問題は、時代、社会の枠組みと、人の意識のあり方に対する「天からの問題提起」の一つの顕れではないか。(実は、出来事全てがそうである)そんなことを思いつつ、そこで何に気づけばいいのか。それにはたくさんの答えがあると思います。その中の一つとしてIHMが大事にしている「愛・感謝」の意識、波動、姿勢があると考えます。

 

本当の「愛・感謝」は責任が伴うもので、実際に自分のものとするには、様々な経験と、学び、気づきを日々得ていくことが必要条件となると思います。心の底から、身体のすべてからそれを体現するのは大変なことです。学びの途中であることを謙虚に受け止め精進していきたいです。

 

マレークマさん、命を懸けて教えてくれて有難う。はやくお腹いっぱいになってください。そして、まだみぬマレークマさん予備軍の「存在たち」に祈りをささげ、本当の豊かな時代の創造(それは何かを考えることも含め)を志向していくにはどうしたらいいかしらと、ロダンの造ったブロンズ像になって、無力の無から生まれる力の存在を信じたい私でありました。

 

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