ステイゴールド チョークスリーパーの回
長い沈黙が続いた。
浅田はうつむいたまま。
佐藤は歯間ブラシのポスターのやたらと歯がキレイな女の顔を見つめていた。
その日、佐藤は意外にも疲弊した浅田に気を使い、ただだまって付き添い、浅田宅までの帰り道も無口なままであった。
浅田は家に着くと、玄関先から佐藤に向ってしゃべり難そうに「ありがほ(ありがと)」と言って、佐藤とは目を合わさずに家に入っていった。
次の日。
浅田は元気であった。
痛み止めが効いているようであった。
そして、その無駄に元気で明るい表情は明らかに新しい自信を獲得した充実感に裏づけられていた。登校時も休み時間も、その無駄に明るい表情は変わらなかった。
佐藤は間近にて浅田の激闘を見届けたがゆえ、その日も浅田への対応は慎重なものであった。
いつものような横柄さはなく、浅田に気を使った対応をとっていた。ただひとつ確かめずにいられない衝動は別であった。
浅田に昨日のようにイーッてさせて真っ白な前歯を確認したい衝動だ。
この日、浅田はもっったいぶっているのか自然を取り繕っているのか仮歯とはいえ新前歯を自ら見せることはなかった。そして、自ら昨日の激闘に触れる発言は無かった。ただいつも通りの浅田である。しかし、佐藤は敏感に浅田の自信と妙な爽快感を感じ取っていた。
「そうか…… 奴にとってはもう黒前歯は過去のことなんや。」
佐藤はそう思うと自分自身もなにか新しい気持ちと感覚を覚えるようになっていた。
もう ええんや。黒い前歯は、もうどこにも無いんや。
佐藤はそう思うととても清々しい気持ちとなり、昨日の自分の対応がとても大人に感じられて少し成長したような気分になった。
浅田は新しい道を歩きだしたんだ… そう思う佐藤の頭では浅田に新前歯ゲットの話を打ち明けられた時に浅田が部屋でかけていたオフコースの「生れ来る子供たちのために」が流れていた。ちょっと泣きそうになった。
放課後、いつものように浅田の部屋で佐藤は浅田兄の成人誌をめくっていた。
西向きの部屋のため西陽が射しこみ、部屋の中はオレンジがかっていた。
浅田は、ポテトチップスを食べながらお気に入りの漫画を読んでいた。
「なあ佐藤。おまえクラブ何に入るか決めた?」
浅田はポテトチップスの袋に手を突っ込み、漫画から目を離さずに聞いた。
「いや別に。まだだ。」
佐藤は浅田のポテトチップスが欲しかった。そのポテトチップスは下校途中に浅田が自身の小遣いでコーラと一緒に購入したものであった。佐藤はコーラのみ買った。
浅田はいやしい奴で、自分で買った食べ物を人にあげることは全くといっていいほど無い。あげる時はその食べ物が不味かった時である。
仮に佐藤がポテトチップスを少しくれとねだったとして、幸い貰えたとしても2枚ぐらいである。たとえ貰えたとしても、その後にまた2枚貰える可能性はゼロに等しい。
それをわかっているため佐藤は浅田にねだろうとはしなかった。
しかし、バリバリと巨大タラコをうねらせながらひたすら食べつづけ、友達に「おまえも食いーや」と勧めることもなく、ましてや気の利いた面白いことを言うまでもなく、昨日の礼とかも言うこともなく、しかも昨日のことに触れることもなく、ポテチを食べ続けながら「クラブ何に入るか決めた?」などとまったくもって面白くない質問をする浅田に佐藤は苛立っていた。
「なー 浅田よ。仮歯ってどんな具合なんや。見せてみろよ。」
佐藤は少し、語気を強めて、苛立ちを抑えて言った。
もし拒否したら殴ってやろうと思っていた。
浅田は確実に見せることに抵抗がある表情を見せたが、佐藤の殺気に押されて「ええよ。」と明らかに不機嫌な顔と声で答えた。
浅田は力なく、ゆっくりと巨大タラコを横に広げ、イーっの顔を作った。
黒い前歯は無かった。
しかし、白い前歯があった。
やたらと白い前歯。
嘘のように、取って付けたようにわざとらしい白い色を称えた前歯が一本、異様な輝きを発している。それが仮歯である。
他の歯が汚いため、新しい仮歯だけが目立ってしまうという地味な緊急事態が奴の口腔内で起きていた。浅田の今日の不自然な様子の理由がなんとなく佐藤にはわかった。
「ありがとう。浅田、ええやん新前歯。キレイやん。白すぎて恥かしいか?」
佐藤が落ち着いた声で言った。
「医者はじきに他の歯の色となじんでいくから大丈夫や言うとった。」
浅田は苦笑いしながらそう言った。やはり少しこそばい感じがあるようだ。
「そうやな!すぐ慣れるって!とにかく黒前歯は卒業やん!良かったやん!」
佐藤が盛り上げるように浅田に言った。
「うん!そうやな!」
嬉しそうに浅田が応えた。
そして佐藤が
「なあ!そのポテチ、オレも食っていい?」
と聞くと。
「あかん。」
と浅田は漫画から目を離さずに冷たく言い放った。
ラジオからはスティーヴィーワンダーの「ステイゴールド」が流れ出した。
佐藤はこの曲が中学の頃から大好きだった。
佐藤はしばらく黙ったまま、漫画を読みながらポテチを貪り食う浅田を見ていた。
しかし、急に立ち上がって、臭い畑のあるベランダ側の窓を思いっきり開け放った。その刹那、またもや肥料の糞尿の匂いが夕方の風とともに流れこんできた。
「くっさ!くさっ!あかんて!開けたらあかんて!ほら臭いー!めっちゃ臭い!あかんねんて!いつも言ってるやろ!なんでいつもオマエは開けるねん!」
と浅田が慌てて立ち上がり、ベランダの窓に駆け寄った際に急に息を吸い込んだまま浅田の動きが止まった。
鼻をヒクヒクさせている。
そのうち巨大タラコの上唇が鼻の方へ引き上げられた。
顔全体が後方に引っ張られるようにヒクヒクしている。佐藤はそんな浅田の横顔を黙って見ていた。くしゃみやなと佐藤は思った。
顔のヒクつきが止まった瞬間
ぶえっくしょーっっっ!!!!
ステイゴールドや…!
と佐藤はまぶしそうに唾液と鼻汁にまみれていく浅田の横顔を見つめていた。
まるでスローモーションのように、夕陽に照らされるなか、かなりの量の唾液と鼻汁がキラキラと黄金色に輝きながら浅田の口と鼻から放たれていった。
しかし、その中に白い物が混じっていた。口から放たれた唾液とともに白いものが畑に向って飛んでいったのを佐藤は見ていた。
佐藤はすぐに気付いて
「浅田!前歯は?」
と浅田に確認した。
浅田は無言でイーってして指で前歯を確認した。
やはり… 仮歯が無い…・
「浅田!飛んだよ! 畑や!飛んでったよ!歯!白いやつ!そう!白い歯!!」
浅田は何も言わず、もの凄い勢いで1階に降りていった。すぐにベランダの下の畑に浅田の背中が踊り出てきて歯を探し始めた。
春の夕方。 糞尿臭い風の中で、オレンジ色の夕陽に照らされて輝く浅田の背中を佐藤はまぶしそうに眺めていた。
ラジオからはスティーヴィーワンダーの名曲「ステイゴールド」の美しいハーモニカの音色が響いていた。
「ステイゴールド 完」
皆様ご愛読ありがとうございました!今後もよろしくお願い申し上げます。
で
相談なのですが
当初は週間漫画のように毎週更新で行こうと思ってましたが
作者が多忙なため
精度に欠ける状況にあります。
自身の判断で
誠に勝手ながら申し訳ないのですが
この「枚方コーリング」
隔週連載に変更させていただきます。
次回は10月7日の更新です。
番外編と銘打ちまして
チーム枚方3匹のレッツゴーツーリング(ノンフィクション)
を数回に分けてお送りします。
作者も参加型のツーリングレポートです。
バイク
キャンプ
直火 朝鮮
癒し
野糞 故障
600円のエロ本
リアルなドキュメントがドキドキ満載です!こうご期待!
お詫び
いつも毎週日曜日の更新時を楽しみに読みにきている方々本当にありがとうございます。心より感謝しています。枚方コーリングも6回目を迎えまして、ステイゴールドも本来であれば今回で「落ち」「ファイナル」のはずでした。
しかし、本当に申し訳ないのですが作者は一般就労とインディペンデントな音楽活動により多忙を極め今回の枚方コーリングの編集が行えていない状況にあります。本当に申し訳ありません。
今回中途半端な形でこの話の最後をお届けしたくないという作者の希望により、次回へ持ち越すことが決定しました。ご愛読していただいてる方々には心よりお詫び申し上げます。
次回の更新日は9月15日を予定しています。
少しでも皆様の心がほぐれるような楽しくもリリカルでばかばかしいファイナルを用意しますのでよろしくお願い申し上げます。
ステイゴールド 四の字固め
紙ジャケットの紙と印刷塗料の匂いに満ちた店内で佐藤は一心不乱に何枚ものレコードを出したり入れたりしていた。
小岩井歯科のある街の駅近隣の中古盤屋である。
佐藤は一枚のレコードを取り出して、それを見つめながらしばらく静止していた。
迷っていた。
中古で安く買おうと思っていたレコードが思いのほか高かったのだ。
佐藤が手にしているレコードはエリック・クラプトン。
犬のジャケットの「There’s in every crowd」。ラジオで「Little Rachel」という曲を聴いてとても気に入っったため、その曲が入っている音源が欲しかったのだ。
佐藤は両手にそのレコードを持ち、ジャケットを見つめたままの姿勢でレジカウンターに向かいそれを購入した。
自転車のかごにレコードを入れ、走り出した。
小岩井歯科を出てまだ30分ぐらしかたっていない。
佐藤は浅田の今の状況を想像してみた。きっと麻酔が効いてくるのを待つのと抜歯が先だから、エグイ治療はまだだろう。今麻酔が効いてきて緊張が高まっているぐらいだろうか。
1時間半ぐらいかかると浅田は言っていたが、佐藤は念のため早めに戻ろうと考えていた。もしかすると診察室から浅田の悲鳴が聞けるかもしれないと思ったからだ。自転車で少し遠回りして小岩井歯科に戻れば治療開始から45分後。一番治療がクライマックスへ高まっていく頃だ。
犬ジャケットのレコードをかごに乗せた佐藤の自転車は夕方の買い物で混み合う商店街に入った。肉屋の揚げ物のいい匂いがした。
途中、自動販売機でサイダーを買った。佐藤が買ったのはチェリオのサイダーである。
自動販売機はチェリオと佐藤は決めていた。
しかも佐藤が好んでよく買うサイダーの缶にはサイダーというロゴの下に動物のサイの絵がリアルに描かれていた。
佐藤はこのサイダーを愛していた。そして、このサイダーを買っては缶を捨てずに誰かに見せびらすことに楽しみをおぼえていた。
その缶を誰かに見せ
「これ何の缶ジュースか知ってる?」
と聞いておいてすぐに
「サイダー!」と嬉しそうに言い。
その後にサイの絵を指差して
「ほら!サイ!ほらサイやでほらっ!これがほんまのサイだー!や!な!ええやろ。」
と言って、相手の反応は無視して、やたらと嬉しそうに笑うのであった。
相手があきれていても関係なく、幸せそうに、その缶を見つめて笑うのであった。
そして持ち帰ったその缶を自宅のテレビの上に飾ろうとするため佐藤の母親は困っていた。
佐藤はサイダーを飲み干して例のごとくサイの缶をかごに入れて、自転車にまたがりペダルを踏んだ。商店街を抜け、新緑をたたえた並木道を走る。夕方の涼しい風が心地よかった。
小岩井歯科に着き、レコードとサイの缶を大事そうに抱えて佐藤はワクワクしながら歯科の中へ入っていった。大好きなレコードをゲットしたこと、サイの缶をゲットしたこと。そして浅田の黒前歯卒業記念。佐藤はとても上機嫌であった。
待ち合い室のソファーに腰掛けてレコードジャケットを見つめたり、サイの空き缶を見つめたり、時折診察室の扉に目をやったりして過ごした。残念なことに浅田の悲鳴は聞えてこない。歯を削る音もあまり聞えてこなかった。
20分ほどすると診察室の扉が開き、うつむいた浅田が現れた。額から下へ影ができている。思いっきりうつむいている。近づいてくる浅田の顔を見て佐藤は驚いた。人の顔色はこんなに変わるものかと佐藤は思った。
もともと浅田の肌は色黒なほうであったが、今の浅田の顔色は地蔵のようであった。灰色である。まったくもっての灰色であった。そして、表情は一切なかった。
佐藤は少し心配になりながら
「浅田よ。やっぱ痛いものなのか?」
と聞いてみた。
浅田はしばらく黙っていたが、しゃべり辛そうに口をひらくと
「もう… グリグリが… グリグリが何回も…」
と泣き出しそうな顔で答えた。
よく見ると浅田の上唇から上がやけに腫れていた。もともと巨大タラコくちびるでむくみ気味な顔のためわからなかったのだ。
「それでだ。歯はもう白くなったのか?」と佐藤は念のため聞いてみた。
「いやまだだ…。」
「どういうことだ?」
浅田の説明によると、先ず黒前歯の抜歯が行われ、これがとにかく痛かった。そして間髪入れず歯根の穴の処置が始まった。それが浅田の言うグリグリである。抜いたばかりの穴に何かを突っ込んでグリグリと掻き回すらしいのだ。このグリグリがとてつもなく痛いらしいのだ。
「じゃあ 今はまだ歯は入っていないんだな?」
と佐藤は聞きながらなんとかして前歯のない顔も見たいと思っていたが、お願いできる状況ではないと考えていた。
浅田は頷き、そしてうつむいた。
「もうグリグリはないみたいや。今は休憩。この後に仮の歯を入れる。」
そう言って浅田は黙った。