博士課程に進んで、人生詰んだ話 | はちゅーのブログ

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はちゅーが気になる題材に関して、綴ってきます。題材は、少し真面目なものから、くだけたもの、やわらかいもの色々、盛り込んでいく予定です。

博士課程に進学して、大学の先生になりたい。

 

それを強く意識し始めたのは、

大学3-4年生の頃。

 

大学で地理とか環境のことを学んでいて、

講義の内容もすごく面白いと感じていた。

 

とくに、人と環境の関わりのなかで、

里山のような自然―社会システムが構築されたことを知ったときには

本当に目を輝かせて授業を受けていた。

 

そこから、人と環境の関わりをもっと勉強したいし、

学んだことを生かした仕事をしたいと思うようになり、

大学院進学を決心した。

 

大学3年生のときにお世話になっていた先生は

まさに人と環境の関わりを第一にした教育と研究を行っていたので、

その先生について行くことを考えてた。

 

しかし、その先生は3年生の途中で転勤となってしまい、

同じ大学で指導を仰ぐことが難しくなった。

 

ちょうどその頃、ある講義を受講していた。

まさにその講義の先生が、今の指導教員。

 

その先生は、やはり地域と人の結びつきや、

環境資源の適切な管理や利用をテーマとした教育・研究を行っていた。

 

大学院進学にあたってはその先生の研究室に進むことにした。

 

その先生からとにかく修士から研究を頑張って欲しいと言われ、

頑張っていれば博士課程に入るときにお給料や研究費がもらえる可能性もあるとも言われた。

 

その制度こそ、DCと言われる日本学術振興会の特別研究員制度で、

博士課程に入る前の修士2年のときに申請書を書く。

 

申請書には、これまでの研究と、博士課程の3年間で成し遂げたい研究を書いて、

評価をしてもらう。

 

当然、狭き門であり、採択率は20%台。

 

M2のときに、本当に苦しみながら申請書を書いたが、

不合格であった。

 

また不合格にも3段階あり、

合格に近い方から、A・B・Cという評価だが、

私は合格からほど遠いCでの不合格であった。

 

この時に、自分の研究への適性を疑えばよかったが、

頭の固い自分は、そのまま博士課程進学を決行してしまった。

 

博士課程1年のとき、

再び、日本学術振興会の特別研究員に申請書を出した。

 

DCには、主に3年間お給料と研究費が支給されるDC1と

2年間のDC2があり、博士課程1年次にはたいていの人がDC2に応募することになる。

 

こちらも、狭き門で採択率は20%ほど。

 

再び不合格Cであった。

 

しかし、結果が来たときには、博士課程1年次も終わりの頃。

 

もう後戻りはできず、

自費で残りの博士課程の院生としての研究生活を送ることを決心した。

 

私のような地理とか環境系の院生は、データを外でのフィールドワークによって得るため

旅費などが多くかかる。

 

そのため、年間100万円弱の科研費がもらえるDCとして研究員に採用されることは

必須なのであった。

 

それでも、自治体などの研究助成金をいただきながら調査を行うこともできたことは幸いであった。

 

しかし、博士課程2年次でも研究を上手くまとめることが出来ず、

精神的に追い込まれてしまった。

 

ほぼ半年、全く論文が書けなくなり、

見兼ねた指導教員から休学して、

フィールドワークがてら地域の実情を自分の目で見てくることも良いのではないかと

背中を押してくださり、地域に密着した仕事に就いた。

 

博士課程の休学は最大3年なので、

3年弱、地域に密着した仕事をやらせてもらい、

大学院に復学をした。

 

しかし、研究は順調には進まず、

博士課程2年のときの苦しみを再び味わうこととなった。

 

また、自営業の父親も病気に倒れ、

中途半端な仕事も色々あり、お客様にも迷惑をかけないため、

一人っ子の長男として、できる限りのカバーもした。

 

そのため、すっかり仕事に疲れ、研究どころでなくなってしまった。

 

また父の仕事については、全くノータッチで今まで来たが、

実際には相当苦しい経営状態であり、仮に博士課程をやめて継いだとしても、

さらに苦しくなることは見えていたので、継ぐという選択肢は外さざるを得なかった。

 

結局、復学後の1年間は身の回りでゴタゴタもあり、

全く研究は進められず、博士課程3年次は終わった。

 

そして博士課程4年目と入り、実家の仕事は落ち着かせることができたものの、

研究は再びやろうと決意はしたものの、

査読論文も全くダメな状態であり、査読者からの厳しいコメントに全く手も足も出ない状態となった。

 

しかし、ずるずる博士課程の学生を続けるわけにもいかない。

来年の春からはちゃんと仕事をしようと、就活を始めた。

 

それでも冒頭に述べたような、

大学の先生への憧れは簡単に諦めることができなかった。

 

そこで修士卒でも応募することのできる大学教員のポストへ

応募してみることを決めた。

 

4つの大学が修士の学位でも応募ができる条件であったので、

履歴書や研究業績書を作成して、送付した。

 

さっそくお祈りメールが1通届いた。

その後はぱったり音沙汰なし。

 

応募要項に書かれていた面接日を過ぎても音沙汰がないということは、

不合格者には通知しないのが大学教員の採用なのだろう。

 

さて、ここからどうするか。

 

今年31歳。

 

どう考えても人生詰んだ。

そうとしか思えない日々である。

 

仮に私がプログラミングや統計解析を用いた研究をしていたのなら、

IT系企業へ応募して、道を切り替えることができたかもしれないが、

聞き取り調査のような定性的な手法で研究をしていたため、

企業からしても扱いずらい人材となってしまった。

 

やっぱり人生詰んだ。