俺の屍を超えていけ(でも、踏んだら呪うよ) | I can・・・ はちやまのヒーロー塾☆

I can・・・ はちやまのヒーロー塾☆

「やってみるから始まる」
次世代を担う子どもたちを育てる。
新しいことに挑戦し続ける塾長のブログ。
好き勝手に書く!

あよん☆

 

冬期講習も終わって、次の仕事にシフトしている。

 

当面の目標は塾の仕組みを変えること。

 

そして、塾(授業)の質を落とさないように、僕の時間を増やす。

 

 

 

何が必要で何がいらないのか。

 

漫然と続けていることはないか?

 

必要なことでやっていないことはないか?

 

思考停止になっていないか?

 

 

 

だから、前回のブログで書いた「板書は必要か?」もいちいち考えている。

 

昨日のブログをアップしたら

 

加賀で進学塾SIPSという塾をされているくぼごん先生から、

 

フェイスブックで

 

「そのうち先生もいらなくなるかもね」

 

っていうコメントをもらった。

 

やっぱり大先輩はいい刺激をくれる。

 

 

 

確かに、そう。

 

このままの流れだと「先生」がいらなくなる。

 

そもそも「先生ってなんだ?」って疑問がでてくる。

 

生徒に授業をしたら先生なの?

 

じゃあ、授業しなかったら先生じゃない?

 

生徒に動画をみてもらって、その進捗管理している人は「先生」なの?

 

授業しなくても見守っていれば「先生」なの?

 

じゃあ、市民プールのプールサイドで見守っているのは「先生」?

 

ありゃ、監視員だろ?

 

じゃ、生徒みているのは監視員?

 

そんなわけがない。

 

 

混乱して来たから

 

「先生」と言う言葉をググってみた。

 

教師・医者など、学識のある、指導的立場にある人。

また、そういう人、自分が師事する人に対する敬称。

 

だって。

 

ってことは指導的立場にないと先生ではないわけだ。

 

そして、

 

「自分が師事する人に対する敬称」とある。

 

 

 

確かに自分の尊敬できない人を「先生」とは呼びたくないな。

 

特に僕の場合は、変にプライドが高いからそう簡単に懐かない(笑)

 

 

そうすると、尊敬できない、教科書の内容を伝えるだけの人間は「先生」ではないということだね。

 

 

極端な話、今の時代は学校に行かなくても勉強はできる。

 

参考書は本屋さんに山のように売ってるし、授業も動画で見ることができる。

 

最低限度の知識は身につけることができるわけだ。

 

(でも、決して「学校がいらない」とは言ってないぞ)

 

 

 

その中で「これからの先生」は何を指導していくのか。

 

人それぞれはあるとは思うけど、

 

僕の場合は僕が行動した「経験」や「失敗談」、「うまくいったこと」を面白おかしく話して、そこから得た知識や価値観とか「僕のダイレクトな考え」を伝えていきたい。

 

 

 

万人に受け入れられるとは思えないけど、それでも僕の話を面白がって聞いてくれる人が何人かいる。

 

なんかわからんけど、そうやってウケてくれるんならありがたい。

 

 

 

そうやってウケてくれるんなら、僕がやりたいことをもっとガンガンやって、

 

そのことから得た経験とか僕の考えを遠慮なくドンドン伝えていったら

 

塾の先生として、もっと面白いんじゃないかと思う。

 

そして、また次のこと、また次のことって興味があることをやってく。

 

 

 

 

結局、僕はキリストでもシャカでもない。

 

人の意識を変えるような偉大な人物じゃない。

 

そして、自分でやったこともないこと、何かで聞きかじったことをさもやったことがあるかのように説明することも性に合わない。

 

自分のありのままのことを面白くおかしく伝えていく。

 

 

 

だから、僕の思い描く「これからの先生」は

 

ガンガン行動して、失敗したり、うまくいったりして楽しくやってる人

 

が「いい先生」となる。

 

 

 

実際にそんな人が身近にいたら面白そうじゃない?

 

 

という感じのことを考えているので、僕にはもっと行動できる時間が必要だ。

 

 

 

僕は僕自身のことを「先生」ではなく、

 

「自称アーティスト(笑)」と思っているので、

 

尊敬されるすごい先生よりも

 

いろんな人に興味を持ってもらえるアホになりたい。

 

じゃ、ばいやい☆