私自身 近親者のお葬式というものが久しぶりでした。
祖父祖母は みんな60代、70代で亡くなっていたので
子供の頃のイメージで 悲しいけどイトコと遊んだよなという感じでした。
結婚の時に 揃えてもらった喪服も 結局一度も袖を通さぬまま
体形が変わって着てません。
父の弟は 60代でガンで亡くなったのが直近になるけど
それもまだ息子が産まれてなかったので 20年以上前の話です。
その時も 赤ちゃんの娘が居たので 控室にほとんど居ていた記憶です。
親のお葬式ってどんなものだろう?
親を亡くすって どんなに辛いものなのか?
友人が 親を見送る姿を見つつ その日を迎える恐れというか
居て当たり前の親が居なくなることで 自分のメンタルが耐えられるのかなと思ったりもしてました。
母が78歳で脳出血で 救急搬送されたときは このまま逝ってしまったら
私は後悔しかないし まだそのころは 母という存在が 私の中で大きすぎて
喪失感を乗り越えることができるのか?と思ったので
不自由な身体になって 母は辛いだろうけれども
生きていてくれることが 本当にうれしくて
ここから恩返しをしようと殊勝に思ったものです(結局 相変わらずで いつも怒ってますが)
今回も 父が倒れてすぐ亡くなっていたら ショックも大きかったと思います。
その日の朝までデイサービスに行けるほどだったので
父が倒れてから 亡くなるまでの7週間ほど。
母の世話もあったので 正直 悲しいどころではない部分と
終末期になって 枯れていく父の姿を受け入れる辛さや
そんな時でも 自分がしんどいという保身に走る自分への嫌悪や
いろんな感情が交錯して 複雑な時間でした。
そんなときに 年上のお客様がご来店されたときに
SNSで 私の状況をご存じだったので 励ましてくださり
「昔からね あと20日っていうのよ。
すぐだと辛いけど その時間が いろんなことを受け入れていくための時間になるのよ。
どうなるかわからない いつその日が来るかわからないのは しんどいだろうけど
それでも その時間が癒しにもなるのよね」と
ちょうど20日くらいの時期だった私には その言葉が すっと入ってきて
気持ちが楽になりました。
実際は その倍近くの時間を過ごしましたけど
母の介護が父から 自分たちにバトンタッチするための準備期間にもなりましたし
母が父なしで生きていく練習する時間でもありました。
そして 家族みんなが 父を送る覚悟が出来たとも思えました。
なので 母を含めて 父が逝ってしまったことが 悲しいという以上に
ちゃんと見送れたと思えたものです。
お葬式を執り行うので 遺族はそれどころではなく
終わってから喪失感が来るとも言いますが
コロナ禍であることや 高齢者のお葬式は そもそもコンパクトで
大変というようなものではありませんでした。
4/20(水)
葬儀打ち合わせが終わり
出席してくれるであろう母方の親戚の連絡役の四伯父と
それと大正生まれの母の長姉の娘(私のイトコになるが 70代)に連絡しました。
通夜や葬儀の食事の数を把握しないといけません。
私の母方のイトコやハトコは なにせ母が7人兄弟だったためたくさんいてて
子供の頃は 実家を継いだ四伯父の家にみんなが集まって すごく楽しかったものです。
最年長のイトコが70代なので その子(ハトコ)が イトコと変わらない年齢で
その子たちとも一緒に遊んでいたので 仲が良いです。
とはいえ それぞれ仕事や結婚で 日本中いろいろなところに居ましたし
そもそも叔父の葬儀に来るのかどうかも わからず 人数の把握に困りました。
関西では 通夜振るまいは 大皿で お寿司や おつまみのようなものをたくさん出すものですが
コロナなので 個々にお弁当にしなくてはならず
個数を決めなくてはなりませんでした。
四伯父に「何人?」とは聞きにくくて
兄と 「あの子はたぶん おばちゃんが連れてくるはず、あの子は遠いから通夜はないやろう」と
ざっくり考えて でもコロナだから来ない確率大とみて 少な目でお弁当と粗供養の数を決定しました。
父の安置室は 遺族が座る椅子が 少しあるだけで 長時間過ごせる場所ではなかったのですが
その日は 他のお葬式が2つ入っているため 宿泊が出来る遺族控室は
通夜のある明日の午後まで使えないとのことでした。
安置室には 夜通し居ることはできないので お線香とろうそくは スタッフが切らさぬようにいたしますし
最近では 寝ずの番をされないご家族も増えてますよとも言われましたが
今夜はお帰り下さいと言われてしまいました。
通夜の時は 居てやりたいので 今日のところは帰ることにしました。
8時までは安置室に居ていただいても良いですよとも言われたのですが
早朝からずっと慌ただしくしていた母の体調も心配でしたので
兄と母を実家に送り 家でゆっくり夕食を食べるように言って
私は バイトさんに仕事を任せっきりでしたので 仕事に戻り
8時前に もう一度安置室に行って お線香とろうそくを交換しました。
葬儀会館は 店と自宅のちょうど真ん中にあり どちらからも5分で行ける近さで
とても便利でした。
妊婦の娘と息子は 自宅に帰らせて 私とダンナは 臨時休業の準備で
夜遅くまで仕事をしました。
4/21(木)お通夜
お通夜は夜だし 午前中は別の方の葬儀があるので 会館での居場所もないため
とりあえず 母と兄は午後から来てもらうことにしました。
私は近いので 娘と息子を連れて安置室へ
父を一人にしておくのは寂しいだろうからと 午前中は一緒に過ごしました。
店は 今週は 忌引きで休業にしましたが
以前からお約束していたお客様が午後にご来店なので出勤。
私が出勤したころには 控室が空いたらしく
母や兄も集合
父は 葬儀場に移動して 皆が父と一緒に過ごしたようです。
父の訃報を知ったお客様から 皆様でとお寿司の差し入れを頂いたり
お腹が大きくなった娘のストッキングや寝間着を買いに買い物に行き
会館に戻れたのはお通夜の少し前でした。
母の長姉の娘(イトコ)が 伯母伯父をみんな乗せて会館に駆け付けてくれました。
母は姉兄に可愛がられた末っ子で 不自由な身体になった妹が夫を亡くしたので
励ましてやりたいと駆けつけてくれました。
大正生まれの伯母と四兄以外は みな他界していて
7人兄弟は3人だけなのですが
四伯父も 足が悪く 会館で車いすを借りていましたし
四伯父の奥さんも 少し前に腰を骨折したとかで 杖をついてました。
そんな中 齢96の伯母は スタスタ歩き、私に駆け寄り抱きしめてくれて
「hachiちゃん 大変やったねえ 本当に 連絡くれてありがとね」と。
小さいころから とてもかわいがってくれた伯母でした。
その様子を聞きつけて 母が会場の中から 車いすで出てきて
伯母の方へやってきたのですが
その瞬間 伯母が ものすごく驚いた顔をしたあと(尋常じゃない驚きでした)
「M子(母の名)~!!!」と叫んで 抱き合い 号泣し始めました。
いやいや そんなに驚くようなことかいな?
結構最近会ってるはずだし 電話もしょっちゅうしてるのに
なんかおかしいぞ?と その時は思っていたのですけど
そこに四伯父まで加わり 「大変やったな、大変やったな」と
中国残留孤児の再会のような雰囲気だったので
末の妹のことって そんなに気になるもんかいな?と思いつつ
それ以上どうにもできず 見ていました。
そのときイトコが そっと私の横に来て
「さっきな 車で来るときに うちのおかあちゃん
『ついにM子まで逝ってしもた』って悲しそうにしてたんよ。
『おかあちゃん 亡くなったんは おっちゃん(父のこと)やで』って説明したけど
たぶんM子ねえちゃん(母の事)が亡くなったと思ってて
生きてたもんやから あんなにびっくりしてたんや思うわ」と。
東大阪で育った母たち
言葉もみんな河内弁で まさに吉本新喜劇
伯母も 真顔でそんなことするもんだから 笑いが止まらなくなりました。
お寺さんが来られて 兄とご挨拶に行き
通夜が始まりました。
親戚の焼香の時も 96歳の伯母は 杖も何も持たず スタスタと背筋を伸ばして歩き
超高齢者の集まりの中で 一番しゃんとしていました。
そんな姿を見ていると さっきの幽霊を見たかのように驚いた伯母が頭に浮かび
また笑えてきて 我慢するのに必死でした。
お経が終わり お寺さんが退出され
故人の近くに行って対面する時間になりました。
そこでまた伯母
「あんなあ あんたのおとうちゃんはな うちのせいさん(伯母の亡くなった旦那さん)と仲が良かったんよ。よくなあ 銀行の帰りに来て せいさんと呑んでたんよ。二人ともお酒がだいすきやったからな。おとうちゃんな せいさんいるから 寂しないで」といって
父の棺桶をのぞき込み
「○○くん(父のことをそう呼んでた) M子に良くしてくれて ほんまにありがとうなあ。
せいさんがな待ってるで だから向こうでいっぱい呑むんやで。」と
父の顔や頭を愛おしそうに 撫でて(実際は撫でまわす(笑))くれました。」
お通夜での故人との対面って
そっとのぞき込み お別れをするという静かなイメージしかなかったのに
伯母の愛情あふれる様子は 嬉しいとともに なんとも面白くて
本来涙のシーンですが 親戚一同大笑い
そのあとイトコ(伯母の娘)も
「おっちゃん いろいろありがとうな。ホンマにおっちゃんには ようしてもろて感謝してるで。M子ねえちゃんはだいじょうぶやからな 安心してええよ」と話しかけながら
伯母と同様に 父にたくさん触れて(撫でまわす (笑))くれました。
四伯父は 父と同い年ということもありましたし
母と四伯父だけが 少し年の離れた兄妹だった関係で
父と四伯父もとても仲が良かったので 父が逝ってしまってことが
四伯父も寂しいらしく
「○○くん 俺は寂しいわ。ホンマに急やったなあ。M子にようしてくれて ほんまにありがとうな。hachiちゃんもKちゃん(兄の事)おるからな 大丈夫やで 心配せんと逝くんやで」と
泣きながら話しかけてくれて また父に触れてくれました。
通夜には 他にも 忙しいはずのイトコやハトコもたくさん駆けつけてくれて
驚きました。
みんな 「おっちゃんありがとうね」とそれぞれ声を掛けてくれたり 触れてくれたりしました。
吉本新喜劇のようなお通夜でしたけど
そのあと通夜振る舞いの席で イトコやハトコまで
「おっちゃんには ホンマに世話になった」と言ってくれて
「ねえちゃん(私のこと) ホンマは明日も来たいねんけど 仕事休まれへんのよ ごめんなあ」と 社交辞令ではない温かい言葉を掛けてくれました。
通夜の席では 故人の話をするものですが
元々船場で商売をしていた母の実家の姉兄たちも みんな商売をしていて
銀行員に嫁いだ母は 一族の中では異色でしたが
中小企業や個人事業主のこともよく知っている父が 親戚の人たちの相談に乗ったり
唯一専業主婦だった母は 商売で忙しい親戚の子の面倒を見たりしていたそうで
イトコやハトコまで 父や母を慕ってくれていることを 初めて知りました。
数年前に 3伯父が亡くなった時のお葬式も行きましたが
ここまでの雰囲気ではなかったのに
伯母には 私の知らない母の実家の話を聞いたりもしてそれも面白く
ただ伯母や伯父 母も みんな自分の言いたいことだけを一方的に話してて
それなのに なんだか会話が成立していて はたから見ていると
笑えるような状況で
コロナ禍で 人との距離感が広がってしまってる中
親戚の温かい心に触れる なぜか楽しいお通夜でした。
その12
家族に尽くした1年 その12 告別式とその後 | hachiのブログ…from time to time (ameblo.jp)
へ続く