家族に尽くした1年 その6 終末期ケアへ | hachiのブログ…from time to time

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3/7(月)

看護師から電話があり 

お父様が ご家族に会いたいと言われているので

一度面会に来てくださいと連絡がありました。

その際に 医師からも病状の説明がありますとのこと。

水曜日に面会に行くことになりました。

 

父の容態は 一度抜いた水は また増えてしまい 抗生物質の効きが悪く

薬を替えてみて もう一度抜いてみます。とのことで 

なんとなくですが あまりはかばかしく治療が進んでない様子に変わってきました。

 

父も夜中に 帰ろうとして立ち上がり転倒したりと 辛い日々が続いているようでした。

 

3/9(水)

母には当日の朝 父に会えることになったと告げました。

早くに話すと動揺するかもしれないので。

 

行く途中 母は

「お父さん元気になったから会えるのね~よかったわ」と無邪気に言うのが

嘘をついているようで 忍びなかったです。

 

一度に病室に入ることが出来るのは 2人までということで まずは 母と兄に入ってもらい 私はロビーで待ちました。

10分ほどで 母は病室に残り 私と兄が交代

 

病室は 看護師の詰め所の真ん前でした。

 

父は すこしやつれた感じでした。

意識はあり 家族が来たことはわかっているようで 

声は出ませんでしたが 反応はありました。

 

母はどこまでわかっているのか

「お父さん 私は元気にやってるからね。早く元気にならなあかんよ」と

何度も話してました。

 

病室から出ると

別室に呼ばれ 医師から経緯の説明が始まりました。

 

肺に水が溜まった経緯は

父は歯槽膿漏があるので そこかもしれないということ。

治療は 2度水を抜いたが またすぐ水が溜まってしまうので

ずっと溺れてるような状態なので 苦しいはずです。

 

抗生物質も はかばかしく効かず

打つ手がなくなってきています。

後は お父様の体力との問題になってます。

 

あとは 痛みを取って なるべく体力を維持できるようにします。

今後は いつでも面会に来てくださって構いません。

 

要は もう出来る治療がなくなったとのことでした。

肺炎と戦える体力次第だと。

 

母は その意味が理解できたのか 涙を流していました。

 

先週の話では 点滴とドレーンで治ると受け取れたので

まさか一週間で 治る見込みが期待できなくなるとは驚きでしたが

臓器にも寿命があり もう父の肺は これ以上どうにもならないことを

理解するしかありませんでした。

 

 

帰りの車の中で

母が「お父さん 顔色よかったね これからどんどん良くなるね」と言い出して

さっきの涙はなんだったんだろうか?

わかってなかった?

 

このあとも 母は お父さんいつ帰るのかなと何度も言いました。

 

短期記憶がすぐなくなるので

忘れてしまうのかもしれないし

心が受け入れられないから 記憶に残らないのか

最後まで わかりませんでした。

 

でも 希望を持っているからこそ 1人で頑張れるわけですし

ただ 期待を持たせて 最後に悲しませるのも辛いし。

いつも 母が父の話をするときは

とまどいました。

 

3/13(日)

娘が来てくれて 母と一緒に父に会いに行きました。

 

また二人ずつの面会で

最初に母と娘 15分後に娘と私が交代

 

父は 最初は目を開けているそうですが

疲れてしまうのか 私はいつも後に入るので 意識はあるけど

目は開けられないようでした。

まだせん妄が続いているらしく ジャンプスーツのような寝間着を着ていましたが

髭剃りをしてもらい 水曜よりすっきりしているようには見えました。

 

母の介護サービスの契約で 母のハンコが要るのに

どこにあるのかわからなくて 父に聞いてみたら

小さな声で場所を教えてくれました。

また 母の障がい者年金についても 質問すると

ちゃんと返事があったので 父はすごいなと思いました。

 

 

 

帰ろうとしたら 看護師さんに呼び止められて

「少しお話できますか?」と

 

この冊子を渡されました。

 

「今後の経過は こんな風になっていきます。

 ご家族の方で読んでおいてくださいね。

 夜間の痛みがひどいようで あまりよく寝られないようですので

 モルヒネを使用することを検討しています。

 モルヒネを使うと 寝ていることが多くなり 意識もなくなることが増えていきます。

 また使うときにはご連絡しますね。」

 

前回のお話の時にも もう治らないのだと理解はしていましたが

まだどこかで回復を期待していたのですが

本当にそうなんだと 思い知らされました。

 

この冊子については 兄には知らせましたが

母には まだ早いかと見せずにおきました。

ただ モルヒネを使うことは 帰ってから 説明しました。

 

期待を持たせすぎると その日が来たときに辛いだろうし

かといって すべてを告げると 母の精神状態がどうなるのかと思うと

怖くて告げる勇気が出ませんでした。

 

その7へ続く
家族に尽くした1年 その7 計画短期退院 | hachiのブログ…from time to time (ameblo.jp)