凪良ゆうさん
『流浪の月』読了
ようやく順番が回ってきて
図書館で借りました。
こちらも本屋大賞受賞作なんだそう。
この賞の受賞作にはろくな本がない
そして商業的なにおいがする
という良くないイメージがありますが
こちらは好きでした。
「普通」「世間一般」といった
マジョリティに属することを良しとして
そこからはみ出るものを
排除しようとする
あるいは正そうとする
そんな社会で生きる
はみ出てしまった男女の話。
マイノリティであることに価値を見出し
「普通」「世間一般」の世界には
属さないこと自体に酔いしれるような
そんな文章もありますが…
ノーベル賞をとるだのとらないだの…
この本に登場するのは意図せずして
気付いたらはみ出ていた人たち。
はみ出ていること自体よりも
はみ出ていることを気遣われること
このままでいたいのに
それが許されないこと
その生きづらさ、苦しみを描いています。
「事実と真実は違う」
本文に出てくる
この話の本質を端的に表す一文。
「正しくなくても、ほんとうのこと」
そんな言葉を思い出しました。
スピッツの草野マサムネさんが
どこかで言っていた言葉です。
事実を重んじる正しい社会に
染まったように見せながら
生きてきた更紗と文は、再会後
やはり二人で生きていく選択をします。
真実を共有する唯一の存在。
生きやすい地を求めて
流浪の民となろうとも
ほんとうの自分自身でいられることが
二人にとっては価値のある人生だと。
二人が夫婦になって
世間に認められてハッピーエンド
なんて結末には全然ならない
最後まで生きにくい社会を描いた話でした。
読みやすいながらも読後感としては
マイノリティの苦しみが
ずーんと残るのですが
一方で、世間一般の価値観が
必ずしも悪なわけではないことも
ふと思い出して難しいなぁと
思ったりしました。
そもそも何が普通かって言い出したら
正解のない議論になるし。
自分の物差し「だけ」が
物事の判断基準ではないこと
様々な価値観があって
個々にとって個々の「普通」があること
それを許容できる社会が良いんだろうな。
今はそんな世の中にもなってきたなぁと
思うことも多いけれど。
しかし小学生の女の子が
大学生男子に数ヶ月匿われていたら
よからぬ想像もされるであろう。
ほんとうの悪が誰であったのか
明らかにする勇気はなかったのだから
そこは社会を責められない。
そして更紗の母には
子どもへの愛を忘れて欲しくなかったなぁ
自由人であることは責めないけど
更紗を置き去りにしたことと
自由とはまた質の違う話。
梨花ちゃんのママも然り。
同じく本屋大賞受賞作の
『そして、バトンは渡された』
に出てくる主人公の母が
自由に振る舞いながらも
娘を愛し抜いていた姿が思い出されました。
この作品には自由や不自由はあるけど
あまり愛はありません。
愛というよりは執着。
不自由にもつながっていく執着…
もっとあたたかい本が読みたくなりました。
でも色々考えるところがあって
面白かった。
★★★★☆