大型連休も終わりましたが、世間は連休でも障害者支援施設には常に入所者の皆さんがいる状況なので、24時間営業。私など3連休を越えると何かと不安なので、それ以上の連続休暇はとりません。ただ大型連休中は8割方帰省するのでその期間の施設は比較的閑散としています。
それでも、大型連休初日は仙台に帰省して父の二十三回忌法要を済ませ、帰りに牛タンをたらふく食べて仙台をあとにしたのですが、最近は母親も70を越えたし亡くなったあとの実家をどうしようかと、やや罰当たりなことを真剣に考えるようになりました。
もちろん母親はまだまだ元気なんですが、こういうことはお互い元気なうちに考えた方がいいよなって思うようになってきたんです…。
まあ、それはさておき、私にとって連休最後の6日は、茨城から富士山を拝んでやろうと筑波山に登ってきました。
筑波山登山は今週2回目。今年は8回目かな。
登りはじめてすぐに、つつじヶ丘のツツジが現れます。
まだ二分咲きで残念。
(ブログのヘッダー画像はこれに変更しました)
山頂には18:00に着きました。
水田に水が張っています。田植えの時期ですね。
残念ながら湿気の高さと、黄砂の影響でしょうか、富士山は見えませんでした。
私が立つ山頂の大きな岩。ここにはみんなビビって立とうとはしないのですが(滑落したらただのケガでは済まないでしょうから…)、眺望をふんだんに拝めるここで腰を掛けながら水分補給していたんですよ。
しばらくすると、背後から若いお姉ちゃんの声。
「ねえ、何かあの人かっこよくない?」
おいおい、まてよ、この場所には俺のほかにはお姉ちゃんとその彼氏っぽいのしかいねーよな…。
「そうか、そうか、俺のことか(喜)。 でも俺は50のおっさんだ。お姉ちゃん、お世辞でもうれしいよ…。あの“おじさん”かっこいいじゃなくて、“あの人”って言ってくれてありがとよ…、じゃあな、あばよ!」って心の中でつぶやき、ルンルン気分で気持ちよく下山するのでしたw
下山したのは18時30分からなので、周囲は暗くなりヘッドライト着用で下山しました。
電線のように見えるのはロープウェイのロープ。
50分もあれば下山できますが、駐車場に近づくと急に視界がひらけ、ご覧のような夜景が目に飛び込んできます。
丹沢の夜景には及びませんが、筑波山の夜景もなかなかですよ。
ところで、今日は土浦市役所の福祉担当課にちょっと用事があったので出かけてきました。
市役所とは思えない外観です。なぜならここは元大型商業施設だったので…。
いかにもイトーヨーカドー的だ…。
最後に全く話題を変えますが、先日ある自治体の市町村審査会(障害支援区分二次判定の審査会です)の席で、一人の知的障害者(男性)の方について審査してきたんですよ。
事前に届けられた資料に目を通すと、その方の年齢は、現在の日本人の平均寿命をはるかに越えてらっしゃる。
知的障害者としてはたいへん長生きなお方です。おそらく子どもの頃から健康体で、施設入所後も元気に働き、徹底した健康管理と栄養管理によって、今日まで規則正しくたくましく生活してきたはずです。加えて長寿の家系だったのかもしれません。
資料によると昭和30年代から施設入所されている…。
東京五輪よりもずっと前だ…。私が生まれるず~と前から施設で入所されているという現実を、資料とはいえ目の前に突きつけられ、何かものすごく複雑な思いでした。
この方、施設の生活の中で、いろんな事を見てきたと思いますよ。昔は部屋も個室や二人部屋なんかじゃなかったろうし、当時は今のような人権意識が確立されていたのかどうなのかも不安が残ります。
失恋、恋愛、成人、就職、結婚、子育て… 多くの人は、人生の節目を、自分の選んだ場所で、自らの意志でもって通過していくものですが、この方、入所に至った背景には、さまざまな事情があったのでしょう。
私は、姿の見えないこの方をイメージしながら、もし何十年後かに生まれ変われるようなことができるのであれば、「あなたは今日まで本当によくがんばってこられた。今度はどうか普通の生活が送れるような力を持った人に生まれてきてください」と願わずにはおられませんでした。
※65歳に到達しますと、知的障害者であっても、障害者支援施設に入所していても、原則として介護保険優先となりますので、障害福祉サービスを利用することができなくなりますが、実際には個々の事情が考慮されて、そのまま現在の施設を利用できるケースがほとんどです。
また、障害者の「65歳の壁」問題は、国会でも議論の対象になり、来年4月に救済策を含んだ改正障害者総合支援法が施行されます。