渡航6日目 野戦病院の朝 | 水餃子と焼餃子~日中国際結婚・子育てと、ソーイングの日々。

水餃子と焼餃子~日中国際結婚・子育てと、ソーイングの日々。

年下の中国人旦那と結婚して8年目、2009年12月に元気な女の子のママになりました。今は育児と仕事の合間を縫ってソーイングを楽しんでいます。

野戦病院の廊下のデジタル時計の日付が変わりました。


主治医からは、

今は点滴で様子を見ること、

明日朝、血液検査、便検査、超音波検査をすること、

正式な診断はそれからになること


を告げられた私たち。


あちこちの部屋で赤ちゃんや子どもが泣いたり、騒いだりする病院で

負けずに大声で泣き喚く小輝を抱っこしつづけていました。


ベッドはひとつ。

大輝と大輝の親友は、私が疲れないよう、そして、小輝が回復したときに

母乳が止まらないよう、ベッドで休ませてくれました。

二人は廊下にあった小さな椅子に掛けて、うとうともせずにそばにいました。


同じく廊下入院の7ヶ月の男の子を抱いたママ。

頭に点滴をしている女の赤ちゃん。


みんな、大連市内ではなく、郊外の県やまちから来ているそうです。

市内の子供はここではぜんぜん休まらないから、

入院の形をとっても、

昼間だけ点滴や治療を受けに来て、夜は家に帰って寝るのだとか。


郊外で、児童病院やそれなりの医療施設がないところに

住んでいる人たちがやむなく入院しているという環境だそう。


だけど私たちは、小輝が腸閉塞で危険かもといわれている以上

帰ることもできません。


小輝はたて抱っこのまま、私の胸に顔を押し付けて泣いていました。


それが30分ほど過ぎた頃。


ずっと待ち焦がれていた

「ぶりぶりっ」という音が・・・・!!


大輝の親友がいそいでオムツをチェックすると


なんと、「出た~~~」じゃありませんか。

(注:私は点滴している腕を支えていたのですぐに

オムツをチェックできなかったので、この親友は

人の子であるにもかかわらず、自らオムツに手を突っ込んで確認

してくれたのです・・・)


急いで当直の主治医を呼ぶ私たち。


便が出た以上、「腸閉塞」の疑いは晴れたわけです。


主治医からも「危険性はなくなった。ただし、腸に炎症があることに

かわりはない。消炎の点滴は引き続きうけてほしい。2~3日は

入院して様子を見たほうがいい」


ということになりました。


入院でもなんでも、腸閉塞、手術という可能性がなくなっただけで

十分だ!!


しかしそんなことはつゆほども知らない小輝、

相変わらず授乳してもらえず、

野戦病院の環境と点滴とで泣き続けてます。


泣きつかれて諦めて寝てもらうまでがんばるしかありません。


デジタル時計の時刻はが2時半になろうとしていたころ

小輝はようやく眠ってくれました。

私も小輝の腕をささえながら、ベッドに横になりました。

眠れはしません。だけど、気持ちが楽になりました。


そして待ち焦がれていた朝の血液検査、超音波。


超音波の結果はすぐに出て、

大きな異常は見つかりませんでした。。。


しかしながら腸の炎症がある以上、やはり血液検査をみて

午後も引き続き点滴だということです。


この日は、小輝の披露宴が予定されています。

親戚友達40人ほどもう招待してしまっていました。


一時はキャンセルかとも思いましたが、

点滴の合間に、私が小輝を抱いて、ちょっと顔を出すということで

話がまとまりました。


午後。

病室のベッドがあき、3人部屋の窓際に移されました。


しかし、うるさい、空気が悪い、で休まりません。

小輝もつかれきっています。


病院自体が、いずれ移転を考えているようで、

かなり汚くて古いんです。

シーツは変えてもらっても、

その下にしいてある布団の汚いこと!!

とても小輝をじかに寝かせる気になりません。


大輝ママがずっと付き添ってくれていたけれど、

やっぱり眠りにつくまでは、私じゃないとだめで

いつものスリングも抱っこ紐も使えない抱っこで

両腕はボロボロになりました。


何とか眠ってくれたところで大輝ママが交代で抱っこして

くれたから助かりましたが・・・


点滴は17時過ぎまでかかりました。

そのまま小輝を着替えさせて、披露宴にむかいました。


今晩は家で休めます。

だけど正式な退院は、明日以降になります。



水餃子と焼餃子~日中国際結婚・子育て

野戦病院の夜中。

小輝も暴れまくってます。

廊下にはなく赤ちゃんを抱っこするママの姿も・・・