渡航5日目 野戦病院 | 水餃子と焼餃子~日中国際結婚・子育てと、ソーイングの日々。

水餃子と焼餃子~日中国際結婚・子育てと、ソーイングの日々。

年下の中国人旦那と結婚して8年目、2009年12月に元気な女の子のママになりました。今は育児と仕事の合間を縫ってソーイングを楽しんでいます。

さて、渡航5日目になりました。

私のアレルギー症状はずっと変わらず、

寝室で眠っている時間(目を閉じている時間)だけが楽なひととき、

夜中の授乳も目を閉じて。


あぐらかいて目を閉じて授乳・・・さながら大仏か。。


5日目は、午後からshasha父がやってきます。

夜は皆で火鍋の店に行きました。


小輝は、いつになく夜にもかかわらずいい子で私の膝の上に座り

みんなに笑顔をふりまき、楽しい時間がすぎました。


夜9時すぎ、帰宅したなり、大輝パパに

小輝の便が出たかと聞かれました。


そう、小輝、出発前日からこの日まで連続6日間、

うんちが出なかったんです。


大輝パパは、


もうほっとけない。児童病院に連れて行く


と言い出し、大輝パパ、ママ、大輝、私、大輝の親友とで

児童医院の急患受付に向かいました。


小輝は、みんなの宴会につきあい、

やっと眠れるという時間にまた連れ出され、

ぐずっています。


小輝自体は苦しそうでもないし、

お腹も柔らかいため、大丈夫とは思ったものの

さすがに6日も便秘では体に悪いだろうと思い

医師の診断で浣腸を受けることに・・・


これが、ものすごくぶっとくて、おおきいので

見た瞬間息を飲みました。

こんな小さい赤ちゃんにこんな量をうつんだ・・・


うとうとしかかったところにまた浣腸されて、

泣きだす小輝。私も泣きたくなりました。


しかし。

それでも出ない。


再び医師の診察を受ける。


「直腸のところに便がない。腸の中につまっているかもしれない。

レントゲンを」


レントゲンなんて考えもしませんでした。

こんなに小さいのに、X線浴びるなんて・・・


レントゲン室に小輝を抱きかかえて入ると

技師さんから

「あなたは授乳中の母親か。出て行きなさい。

旦那さんを呼びなさい」


と追い出されました。


X線照射が授乳に与える影響を心配してのことでした。


大輝と大輝ママとで撮影の補助をしました。

二人で小輝の手と足を押さえて。。。


泣き叫ぶ小輝の声を外で聞かされ、

こころがつぶれる思いをしました。


そして待つこと10分ほど。

診断結果が出ました。


「腸閉そくの疑いがあります。ただちに入院手続きを取ってください」



びっくりして言葉も出ませんでした。

腸に炎症があり、実際便が詰まっていること、

本当の腸閉そくかどうかまだわからないが疑いがあること・・・


大輝の親友は、自宅の方が休めるだろうからと

「明日朝から来ます。今日は帰してもらえませんか」と詰め寄りましたが、


「危険な状態なので、帰ったらどうなるか保証できない。

月曜日の帰国だってできるかどうかわからない。

腸閉そくであれば手術も覚悟してほしい。」


もう選択肢はありませんでした。


私は泣くまいと頑張っていたのですが、心の中では大泣きでした。


たった4カ月なのに、自分たちの都合で海外に連れてきてしまったこと。

毎晩毎晩、大人の付き合いに連れまわして、疲れさせてしまったこと。

今晩の火鍋のお店で見せてくれた小輝のたくさんの笑顔は、

もう最後の笑顔だったのかもしれない・・・(←今から思えばおおげさですが)

こんな小さいうちから手術を受けさせなければならないかもしれないこと。


さらには、エンギでもないですが、

遺骨を抱いて泣きながら帰国する自分の姿まで浮かんでしまいました

(←かなり病んでますね)


よく、親が子供の病気を「代わってやりたい」といいますが、

このときほど、その気持ちが理解できたことはありませんでした。


もう11時を回っていました。

夜間窓口で入院手続きをし、指示された13階の病棟に行くと


看護師からは「ベッドが空いてない。ここしかない」

と案内されたのは、なんと、


病室廊下。


あっけにとられているうちに、廊下にベッドが用意され、

シーツ、布団、枕がセットされました。

ふと見ると、すでにその状態で入院している親子がほかにも2組。


満床の病室からも、子供の泣き声や騒ぐ声が聞こえ、

廊下には付き添って入院している親の姿も。


ここは野戦病院か・・・


すぐに主治医がやってきて、点滴の準備がはじまりました。


腸閉塞の疑いがある以上、授乳はできないこと。

栄養分は輸液でとるしかないこと。

点滴をするので抱っこしていなければならないこと・・・


大輝と私、大輝の友人が付き添って泊ることになりました。

大輝パパとママは、わたしたちの荷物や小輝の荷物を取りに

戻って行きました。


小輝は再び、疲れきって眠っていたところに注射針を刺され

激しく泣きだしました。


怖かったのでしょう。

そして、いつもと違うこの夜に不安を感じていたのか

私にしがみついて大泣きしたまま、離れません。

私の着ていた服は小輝の涙とよだれでベタベタです。

小輝も、「こんなに泣いているのにどうして授乳してくれないの」

と訴えているかのようでした。


翌日に続く!



水餃子と焼餃子~日中国際結婚・子育て

小輝の点滴を記念に撮ってみた(翌日です)