大阪の実家に。
朝姉の家に
子供達を遊ばせに
散歩で向かったら
3連チャンの
スクーターポリスに遭遇
東京ではこの形式に
あまり出会わないので
思わずポチりw
実家は
いつ戻っても
いつも通り
とんでもない急な階段
私が住んでいた頃のままの
真っ赤なカーテンと
ディズニーの飾り
※住んでた頃は
ベッドも棚もテレビもテーブルも床も
全部カーテンと同じ真っ赤にしてたけど
流石にそれはもう採用されてないw
浴室は
それから12年
ここにいる
人の命は有限だ
目の前の人と
もう2度と会えないのだとしたら
今の振る舞いをするのかな?
目の前の人が
最後に過ごす人だとしたら
一緒にいるのかな?
目の前の環境が
当たり前じゃないのだとしたら
自分には何ができるかな?
やりたいことを
やらなくても
人は死ぬ
やりたい放題
やって生きても
人は死ぬ
他人に迷惑をかけても
人は死ぬし
迷惑かけないように
生きてるつもりでも
結果迷惑をかけている
昨日
明日
明後日
明明後日
日が上り月が出てまた日が登る
そんなことが
当たり前にやってくると
私達は思い込んでいる
私は父がくれた
最高のギフトが
余命1ヶ月
宣告から28日目
の没名
だと思う
昨日まで普通に仕事してた
昨日まで普通にご飯食べてた
昨日まで普通にテレビ見てた
昨日まで普通に出かけてた
だんだんと
弱っていっていたなら
こんなにインパクトは
残らなかっただろう
そして
余命1ヶ月と宣告された
後の父の姿は見事に変わっていった
人は
【氣】に支配されているんだな
って今振り返って
めちゃくちゃ理解できる
あの当時は
目に見えない世界のことを
知らなかったから
病気が急加速したのだと思った
だけど
今思うのは
父の中に流れる【氣】がすっかり
変わってしまったのだろう
こんな髪色して
好き勝手移り住んで
2回離婚して2人子供がいて
また誰かに恋したいと思っていて
世界を相手に何かを成し遂げたいと
動いてる
そんな私をきっと父は
微笑んで見てくれている
ような気がしてる
自由に生きろ
![照れ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/027.png)