(底辺漫画家、超ヤバ実話)近藤令さん! | はーちゃんのブログ

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1970年、東京は港区、東麻布出身の漫画家、近藤さんは、両親はそこで小料理屋を経営、と言っても昼はランチ、それに仕出し弁当がメイン、夜はスナック風の、1階が店で2階は住まいだが、両親は店の座敷でいつも寝て、2階には上がってこない。

1970年代のことだが、それにしても、ゴキブリ、鼠が多く悩まされた。更に、よく泊りに来たオヤジの妹、綾子おばさん、彼女には、絵を描く面白さを教わった。

もう一人、母の弟、よしあき伯父さんは、小指がないけど、ひょうきんで、あだ名は(バルタン聖人)と呼ばれていたが、だいぶ後になってから、彼がやくざだと知った。

 

 

近藤さんは、高卒後数か月デザイン事務所に就職、その後、漫画家谷村ひとしのアシスタントになるが1年でクビ、フリーター生活後、父のいるフィリピンへ。帰国後、再び漫画の道へ、第29回ちばてつや賞ヤング部門優秀新人賞受賞、

パチンコ全盛時代に、実録パチンコ漫画作品を手掛けたのがヒット、人気作家になったが

ブーム終焉、収入激減、しかしこれを乗り越え、フィリピンで過ごした父親との日々を描いた(ココ ロングバケーション)で、ショート漫画大賞、矢部太郎賞受賞。

 

 

その後、Web漫画に活動を移し、(ゾンビ島)などの作品を発表、50歳を過ぎた今も

精力的に創作活動を続けている。

キラキラした町港区が、実はそうでもなかった、1970年代の、底辺漫画家が振り返る

(仲が良かったのが、小指のないおじさんで)。