(宮崎のバスガイド、私の青春)という投書を読んで! | はーちゃんのブログ

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昭和45年前後、当時の新婚旅行のメッカ、宮崎はとても人気があり、それをけん引してきたのは、宮崎交通であった。

私も学生時代、宮崎に行き、観光バスに乗ったが、旅館を探すのに、女子学生2人が交番で旅館を紹介してもらっているのを見て、同じように聞いてみたら、一人の高校生男子と泊ることを提案され、3人で泊ったことがある。

昭和38年には、(100万人の娘たち)という、宮崎交通のバスガイドさんが主人公になった映画があり、その主役は岩下志麻であった。

 

 

当時のバスガイドは、とても人気がある仕事であって、宮崎交通では、約200人ぐらいのバスガイドがいたが、今は現役を務めているのは、7.8人程、過去に宮崎を訪れて観光バスに乗った人たちが、再び宮崎を訪れて、バスガイドさんたちの姿を見て、感激してくれるという。

(昔、修学旅行で訪れた方が、私たちの制服姿を見て、変わらないね、懐かしい!と言って下さるのを見て、ずっと変わらない制服が、今この瞬間と、輝いていた青春の思い出を、時間を止めてつなぎとめてくれます)とは、ガイドさんたち。

 

 

私たちも、夫婦で先日、高千穂峡などを旅行したが、ガイドさんがグルメで、名物の食べ物にとても詳しく、やはりそれに相応した体格の良い女性であった。

なぜか、韓国系の女性グループや男性たち、台湾人がいて、これは、熊本県の半導体工場とも関係がありそうだなとも思った。