葛飾北斎と曲亭馬琴との関係 | はーちゃんのブログ

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実は、今回もまた、第2回目のコロナにかかり、寝込んでしまった。救急医療にかかり

前回と同じ、赤い錠剤4錠を、一日2回のみ、どうやら落ち着いた。

元旦早々大地震で苦しむ能登の人々と比べれば、なんてこともないことだが、妻の看護協力もあり、一人暮らしでなくてよかった。

というわけで、まさに、ゴッホとゴーギャンのごとく、北斎と馬琴の両天才は、互いにその才能を認め合いつつも、意気投合し、一時は数か月馬琴宅に北斎が転がりこみ居候したこともあるが、大げんかの末、離れることも。

 

 

北斎は、お金に無頓着で、掃除などはせず、やりっぱなし、きれい好きではなく、食事は外食、気難しくわがまま、人付き合いは苦手な気難し屋さん、一方、馬琴は、元武士の家系なので、几帳面で、体も180cmの大男、終生日記を欠かさずつけていたという。

読本(鎮西弓張月)や、(南総里見八犬伝)では、2人でタッグを組み、大いに江戸文化を盛り上げ庶民を楽しませた彼らだが、共にこだわりが強く、無類の頑固者同志であるために、大げんか!

浪費家の北斎の金の無心にもめげず、友人への手紙には、彼の才能をほめたたえることが多々あった。

 

 

日本の、ピカソ美術館でも、ピカソの書いた動物画が、北斎の動物の絵と同じように、今にも画面から飛び出すような躍動感が見られ、いつ、どんな絵でも、即描くことができるのが天才のゆえんであると思った。

別の意味で、馬琴も、日本で初めて、原稿料のみで生計を立てた著述家であり、武家から町人に転向、下駄屋に婿入り、ヒステリー妻、軟弱長男に苦労しつつも28年かけ南総里見八犬伝完結、84歳で病死した。