172)始まりは逆「の」の字運転 | 峠を越えたい

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 大阪環状線の成り立ちを知りたいと思います。時計回りで駅名は大阪~天満~桜ノ宮~京橋~大阪城公園~森ノ宮~玉造~鶴橋~桃谷~寺田町~天王寺~新今宮~今宮~芦原橋~大正~弁天町~西九条~野田~福島~大阪で一廻りしました。何か抜けていないでしょうね。今宮駅から分岐してJR難波駅ひと駅の路線は何て呼ばれるのでしょう。明治22年(1889年)時刻表の路線図(日本交通公社による復刻版)が最初です。

 天王寺駅と湊町駅が記されている路線は後の関西本線です。大阪駅と湊町駅をくっつけているのはどういうわけでしょう。難波駅も見えますね。4年経って、「鉄道敷設法公布後1893年3月鉄道路線図」(『鉄道路線をくらべて楽しむ地図帳』寺本光照編著、山川出版社)より。

 上記路線図右端の「1893年3月末日時開業路線一覧」では、大阪鉄道:湊町―高田間;王寺―奈良間、阪堺鉄道:難波―堺間と3路線があります。次は「鉄道成長期の明治32年1月の時刻表」(ネット公開)より。

 大坂、京橋、玉造、天王寺、湊町は何とか読めます。大坂~天王寺は今の大阪環状線の東半分でしょう。湊町は、現在は無い駅名です。『JR難波駅』(Wiki.)を読むと、嘗ての湊町駅はJR難波駅に当たるが(1994年改称)、南西へ100m移動しているそうです。同じ明治32年(1899年)の時刻表です。

 湊町、天王寺、平野、八尾、柏原、王寺、法隆寺、郡山、奈良、は今の関西本線です。大正時代に入って、1925年4月号『汽車時間表』(日本旅行文化協会)の路線図を。

 南海鉄道線の難波駅と関西本線の始発駅の湊町駅は近い距離にあります。大阪環状線は大阪~京橋~天王寺までの矢張り東側半分です。時刻表のほうを見ると、湊町と天王寺の間に今宮駅があるので、正確には環状線は今宮駅まで出来ています。1961年10月『時刻表』(日本交通公社)の路線図より。

 30年超大阪環状線は時計方向の延伸を休んでいましたが(少なくとも1956年の時刻表まで)、1961年10月号『時刻表』(日本交通公社)においては見事繋がっています。以前から存在する大阪~桜島線の途中駅である西九条で繋げたんですね。となると、反時計回りで大阪~西九条間はとうの昔に出来ていたことになります。一周させた、しかも完成している路線を少し余して西九条で繋げた意図は何だったでしょう。

 また今宮駅の位置がおかしいです。環状線から外れています。この時(1961年)の時刻表を掲げます。

 ちょうど上にあった関西本線の時刻表の端っこを載せました。勘違いで、今宮駅は環状線の駅ではないです。環状線は西九条発桜島行きの反時計回りと桜島発西九条行きの時計回りとがあって、逆「の」の字が変形したような形でしょうか、ユニークな走りをします。

2022年5月『時刻表』(JTBパブリッシング)ではどうでしょう。

 メインの走り方は大阪発大阪行きの時計回り及び反時計回りになっています。西九条~桜島の路線(桜島線)は乗り換えです。この路線途中にユニバーサルシティ駅を見つけました。USJへはここで下りるんですね。

 大阪駅で初めて環状線に乗ろうとしたとき迷った気がしますが、一体何に困ったのか定かではないものの、目の前に止まっている電車が内回りなんだか外回りなんだか、判断に苦しんだのかしら。確か天王寺へ行きたかったのだからどっち道かかる時間はそう変わらないでしょう。

 そうそう、解けない謎が一つ。今宮駅問題です。今宮駅は環状線外の筈でした。今の時刻表で見ると、関西本線は天王寺、新今宮、JR難波の順です。一方環状線は時計回りで天王寺、新今宮、今宮、芦原橋、大正、弁天町、西九条と続きます。変ですね。元々環状線の駅ではない今宮駅が環状線にあって、新今宮駅が関西本線の駅でもあり環状線の駅でもあります。『今宮駅』(Wiki.)の「概要」より。

 “関西本線大阪環状線の2路線が乗り入れており、このうち関西本線を当駅の所属線としている。………

1966年(昭和41年)に新今宮駅芦原橋駅の設置に伴い、近接する当駅の廃止(3月31日予定)が告知されるが、寝耳に水だった一部の住民による反対運動の高まりにより、無期延期の後、翌1967年(昭和42年)5月10日に廃止計画そのものが取り消しになった。

長らく、大阪環状線の駅は存在せず、1997年3月8日にホームが設置され、芦原橋-新今宮間の新たに止まる駅となった[1]。そのため、現在当駅が大阪環状線で最も新しい駅となっている。(純粋な新駅としては1983年開業の大阪城公園駅が最も新しい)”。

 何だか難しいです。現在の路線図(2022年5月)も載せます。

 上図をそのまま受け取って、天王寺駅~今宮駅間は関西本線と環状線とが並行して走っていて、関西本線の今宮駅には環状線のホームは作られなかった。それで1961年の路線図では今宮駅が関西本線の駅として描かれ、あたかも環状線とは離れているような絵になった。1997年に環状線上にも今宮駅が新設された。そうすると今宮駅の関西本線ホームは取っ払ったのでしょうか(或は停車しないようになった?)、新今宮駅には両路線の駅を作って。大凡そのようでしょうか。『小学校総復習 小学校社会科地図帳』(帝国書院、2021)より。

 大阪環状線と関西本線は天王寺駅から今宮駅までくっついて走っていますね。ちょっと私事を。昔天王寺都ホテルに泊まったことがあります。現在は都シティ大阪天王寺と言うみたいです。JR天王寺駅の北、詰り環状線の内側にあった筈なんですが、今は南側のようで、記憶違いでしょうか。翌日午前環状線内を北上し、JR難波駅の脇を過ぎ、福島駅近辺まで歩きました。その早朝は難波宮跡までランニングしてきました。その北は直ぐ大阪城なのに手前で引き返したのは根性不足。この辺りはかなりの起伏のあることを実感しました。

 主に歴史関連を扱っているからには『環状線』(Wiki.)を見ておかないと。その中の「歴史」内より。

 “大阪環状線となったのは、西九条駅から大阪臨港線の今宮駅 - 浪速駅間に設けられた境川信号場までが開通した1961年である。なおこの時、西成線のうち西九条駅 - 桜島駅間が桜島線として分離され、………。当初は西九条駅で線路がつながっていなかったため、桜島駅 - 大阪駅 - 京橋駅 - 天王寺駅 - 西九条駅の逆「の」の字運転を行っていたが、1964年に西九条駅の高架化が完成して線路がつながり、環状運転を開始した”。

 逆「の」の字運転が当初されていた理由が分かりました。でも1961年に環状線になったのに何故か線路が繋がっていなければ一周運転は出来ない道理です。1961~1964年に納まる時刻表をもっていたのは幸いでした。

 また環状線西半分の建設停滞事情も読み取れます。

 “………1953年に大阪環状線建設促進協議委員会が発足、1956年3月20日には大阪市内環状線として起工式が挙行された。それでもなお、安治川橋梁の架橋に対して反対運動があったため、1960年に開業予定が1年遅れることになった”。

 路線を環状に繋げようという計画自体も遅かったようですが、船舶の出入りのためらしく、安治川に橋を作っちゃダメと言うことで更に遅れたんですね。