『ジェーン·エア』の作者シャーロット·ブロンテ様の霊言 | ルチア(大天使ミカエル)の聖アントニウス信仰

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この愛すべき地球を全銀河の理想の愛の星にしたいと願った瞬間、光の柱がドシーンと私の頭上に落ちてきてそのまま地球を貫いたという衝撃的な体験をした。





 私はその日に限ってお祈りのあとのアテナちゃんの可笑しな挨拶に負けじと「ワンワン♪ニャーニャー♪ホーホー♪」と派手に動物の物まねをした。


 するとゲラゲラと笑いながらアテナちゃんが「ここにシャーロット・ブロンテがいるよ🎶」と言うではないか。


 「えっ、どういうこと?」「霊言を取るためにラファの所に来ているよ」と(笑)

 そういえば今日のアテナちゃんの物まねは「ワンワン♪」と控え目で変だなと思ったが後の祭(涙)

 いきなりシャーロット・ブロンテに変な印象を与えてしまった(涙)


 その日は少し冷え込んだのでヒーターを付け電気ストーブで足下を温めていたら霊言の第一声にクスッと笑ってしまった。


「寒いですね。イギリスの冬もとても寒かったです。

 私はイギリス中部のソーントンで生まれました。4歳の頃、父が近隣のハワースの教会の牧師に任命されたのでそこに家族で移り住みました。

 しかし、翌年には母が癌で亡くなります。父は仕事で忙しく六人の兄弟、姉妹の面倒を見ることはできません。

 そこで伯母がやってきて母の代わりをしてくれることとなりました。私が5歳の時です。

 8歳の頃、姉妹四人でランカシャーのカウアン・ブリッジ校に入学します。

 けれども次の年の冬には上の姉二人が11歳と10歳で亡くなりますふ。

 これは湿地に建てられた学校の衛生環境と食事の粗末さのせいです。それで私と妹のエミリは学校をやめて実家に戻ります。

 酷いところではあったのですが、けれども残念ながらこのような状況は当時のイギリス全土に多く見られたのです。

 それはピューリタンの思想によって質素であることが何よりも大事だと思われていたこと、そしてイギリスが気候的にも多くの作物が取れる場所ではないということが原因としてあります。

 今でもそうですが、イギリスの学校の寮に入ると一週間じゃがいものメニューしか出てこないということは珍しくありません。

 当時、私はそれらを告発するために、「ジェーン・エア」でその食事の様子を克明に描きました。

 学校に限らず、当時は子供が亡くなるということは日常茶飯事でした。衛生や栄養学という観念がまだ乏しかったのです。

 ここニ百年ほどの科学の発達に伴いそれらも改善されてきたのです。けれども、まだまだそれらが行き届かない国も多いということを忘れてはなりません。

 私は牧師の家に生まれ、父や教師から教育を受けることが出来る立場にいました。

 ですから当時のイギリスの状況を見ていて、人は何の為に地上に生まれてくるのだろうという疑問がよく浮かびました。

 私の兄弟は皆早死していますし、私自身も結婚してすぐに38歳で亡くなりました。

 生まれて何も知らず、何もなさず死んでいく。それはあまりにも虚しいことです。

 私達は皆、神の子です。ですから、少しでも神に近づいてあの世に帰ることが大事なのです。

 土塊(つちくれ)として生まれ、土塊として死んでいくために神より命を与えられたのではないのです。

 今までより、少しでも魂を向上させ、洗練させる為に生まれてきたのです。そのための文明なのです。それが文明の目的なのです。

 魂が神に向かって一歩でも二歩でも近づけたならその人生は成功したと言えるでしょう。

 いくらお金があり、見た目だけは豊かな生活をしていてもそれなくば貧しい人生なのです。

 当時はそういう優れた情報に触れることは簡単ではなかった。だから新しい芸術や文学の情報を手に入れることができたなら、宝石を手に入れた時のように嬉しかった。それらが私の魂を進化させてくれたから。

 こういう考えは私の弟や姉妹にはみな多かれ、少なかれあったと思います。だから私の家から三人もの小説家が生まれたのだと思います。

 また私が書いた「ジェーン・エア」の主人公の女性は自分で自分の人生を切り開いていきます。これはもちろん私自身の性格でもありますが、その頃もっと女性が自分の人生を生きるべきだと思っていたからです。

女性は男性の所有物ではありません。女性自身も教育を受け、世の中の役に立つべきであると思っていました。

 慎み深いということは美徳ではありますが、その言葉が人間の魂の成長を阻害するために使われてしまってはなりません。私達女性の魂も神に一歩でも近づくために地上に生まれてきているのですから。

 社会も常にそれを支援できるように進化していかねばなりません。

 私の本だけでなく、文学、特に古典と言われているものは人類の宝として残されてきたものですから、一度は読まれることをおすすめします。

 そうすれば、今までにない新しい景色が見えてくるのではないでしょうか。

 そして新しい人生も開けてくるのではないでしょうか」

シャーロット・ブロンテ
2024.3.6


※💐シャーロット・ブロンテ様💐
霊言をありがとうございます😊🎶📚💖

 シャーロット・ブロンテはヴィクトリア時代を代表する小説家だ。


 8年前の2016年には英国にてシャーロット・ブロンテ生誕二百年が盛大に祝われた。

 しかし、彼女が『ジェーン・エア』を発表した時は女性の小説家に対する世間の偏見が厳しくそれから逃れる為にカラー・ベルという男性のペンネームを使ったという。

 シャーロット・ブロンテのみならず、妹たち二人もペンネームを用い小説を発表し、たちまち評判になり本名を明かすことになったという。

 シャーロット・ブロンテは『ジェーン・エア』をエミリー・ブロンテは『嵐が丘』をアン・ブロンテは『アグネス・グレイ』を書き全く無名の姉妹の作品が突然ベストセラーになったというのは快挙だ。

 当時の自立した女性の仕事といえば教師か上流階級の家に住み込む家庭教師しかなかった。

 あの『ヘレン・ケラー』のサリバン先生のように。

 しかし、シャーロット・ブロンテは社会で自立する為、小説家になるしかないと思ったそうだ。


 更に小説は経験したことしか書かないとも。

 『ジェーン・エア』は彼女自身なのだ。

 主人公の真っ直ぐな道徳心と正義感から恋を犠牲にするも最後に献身の愛を選んだ主人公の潔いよい生き方にまだ恋に夢見る乙女だった私の心は激しく揺さぶられた…(涙)


 更にシャーロット・ブロンテは当時の寮の質素な食事を『ジェーン・エア』の中で告発したという。


 確かに数十年前に私がイギリスを訪れた時もそれを感じた。


 ホームステイ先の朝食は紅茶にジャム、スコーンにバターという簡単なものだった。


 期待していた夕食はクリームシチューの煮詰まった中に指先大のジャガイモと人参がゴロゴロ入ったもので美味しくはあったが料理と呼べるものではなかったような気がする(笑)


 その後に訪れたフランスやイタリアやスペインの食事は本当に美味しかった。


 ラファ曰くそれがカトリックとプロテスタントの違いだと…。
 
 
 衛生環境も悪く結核で姉妹が次々に亡くなっていくのを目の辺りにして人生の意味を深く考えざるを得なかったシャーロット・ブロンテ。


 ミカエル様は苦しみの中に宝物を発見すると仰有ったがシャーロット・ブロンテは確かにそれを発見したようだ。


 そして彼女が薦める古典の中にもその宝物がたくさん隠されているのだろう。


 「人に恨みを抱いたり、まちがった仕打ちをいつまでも忘れずにすごすにしては、この人生はあまりにも短かすぎるような気がする」
  『ジェーン・エア』より


✴苦難困難の中にある全ての生きとし生けるものに一日も早く平安が訪れますように✨💖✨💖✨ 

 
…✴皆様と聖アントニウス神に愛を✴…