《ラファが添付したランボーの詩より》
おお、歳月よ、あこがれよ!
誰か心に傷がない!
おお、歳月よ、あこがれよ!
僕は極めた魔術でもって、誰にも逃れぬ幸福を。
ゴールの鶏の鳴くたびに、僕ら幸福を敬遠しよう。
幸福が僕らに力を入れるので、僕は幸福に飽いちゃった。
身も魂もこいつに慣れて努力する気が無くなった。
おお、歳月よ、あこがれよ!
こいつから逃げ出せる僕の最後の時らしい。
おお、歳月よ、あこがれよ!
これも過去のこととはなった。
僕は、今や、美をば崇めるわざくれも知る
・…・…・…・…・…・…・
「私が15歳の時、イバンザール先生と出会った。
修辞学の先生でこの出会いがなければ私は詩を書くことはなかっただろう。
彼は文学の素晴らしさ、詩の魅力を教えてくれた。
そして革命的精神も。
私は16歳で詩作を始めた。
その頃、フランスとプロシアが戦争となり、学校が長期の休みとなった。
私はそれを利用して家出してフランスのあちこちを旅して回った。
パリにも出かけた。
この経験は私に多くの詩の材料となる感情を与えてくれた。
母にとっては私は困った存在であったろう。
この後、私は詩人のヴェルレーヌやパリの文化人と出会うのだが、私の未熟さと過敏さ故、皆と離反してしまう。
ヴェルレーヌに至っては私に発砲し、収監されてしまった。
これは私自身が自分の才能を過信していたので、彼らと衝突することが多かったからだった。
それほどまでに私は自分の詩作の力を信じていた。
けれども私は20歳で筆を折り、その後37歳で亡くなるまで詩を書くことはなかった。
その理由を話そう。
私にとって詩を書くということは常に命を削る行為に等しかったのだ。
私自身の詩作とは、愛や苦悩や狂気で私自身を見者に変えていく作業であった。
自分を探求し、自身の中にある毒を汲み尽くし、その精髄だけを残していくのだ。
これは言語を絶する苦悩だった。
それによって自分を大いなる超人に変えていくのだ。
私はそうやって誰にも真似の出来ない独自の言葉を紡ぎ出していった。
しかし、それを続けていくことは自分を日々、死に追いやっているようなものだった。
私は途方もない素晴らしい感覚を味わうことが出来たが、のたうち回るような苦しみも味わった。
その研ぎ澄まされた感性のまま生きていくことは到底不可能だった。
詩人としては5年の活動ではあったが確かに誰も到達することが出来ない高みまで進んだのだと思う。
その後の人生は食べるために貿易商人として、中東やアフリカで仕事をした。
詩を書かなくなったのは詩的原泉であった私の感性を封印してしまったからだ。
かつてはタイトルさえ考えればあらゆる映像が浮かび様々な音が聞こえていたが、何も見えず何も聞こえなくなった。
亡くなるときに私は初めてキリスト教に帰依した。
その時本当の安らぎを得ることが出来た。
私は生涯神を見つけようとして見つけられずにいたのだから。
ランボー 2024.1.27
※ランボー様
霊言をありがとうございます✴😊✨💓
今朝二時頃にラファからこの霊言が届いた。
寝惚け眼で冒頭の詩を読んでバッチリ目が覚めた(笑)
二十代の頃、読んだ『酔いどれ船』を思い出した。
何でこんな詩が書けるのだろう!?
あの若さで…。
それも海を見たことがないというのに凄い想像力だ👀💦
そして、この霊言前に同じような内容のランボー様のお話を頂いていたことを思い出した。
なぜかコメントが難しくてブログに入力出来ずにいた(涙)
《…常に命を削るような行為だった…
…研ぎ澄まされた感性のままで生きていくことは到底不可能だった…》
あのゴッホが霊聴で苦しみ耳を切り落としたように。
ランボー様も良いものが見えたり聞こえたりする時は歓喜の中にあるが逆の存在が来た時はそれは大変だったであろう(涙)
昨夜、『空海の霊言』という書籍を読んだ。
その中に天台智顗大師の「魔とは迷いである」という言葉があった。
魔は迷っている存在なんだと。
そして私達も悩み苦しみ迷い藻掻いている時に魔がやってくると書いてあった。
魔との戦いの中で極限まで己を見つめ大いなる超人を目指し言葉を紡ぎだしていたとは😂🎶💖💦
短い人生の中で神を求め続け最後に見つけただなんて何てドラマチックな人生なのだ✴😂✴
今だにランボー様のお墓にファンからの手紙が届くという。
詩人冥利に尽きるというものだ😆💖
苦難困難の中にある全ての生きとし生けるものに平安が訪れますようにお祈り致します✴💓✴
…✴皆様と聖アントニウス神に愛を✴…